Monday, December 26, 2011

園子音監督再燃

久しぶりの更新。先月で、研究はやや慌ただしさはなくなり執筆・分析モードになっている。
今年はケガもあって、映画をたくさん観ることができたが、最近は園子音監督に再びハマっている。

「愛のむきだし」で好きになって、「紀子の食卓」なども観たがしばらく観ていなかった。今年の後半に入って久しぶりに2003年の「ハザード」を観て、パンクバンドのファーストアルバムのような作品という監督の形容にふさわしく、強烈な印象を覚えた。

ベネチアで染谷将太と二階堂ふみが新人賞を取った話題作「ヒミズ」公開を記念して吉祥寺バウスシアターで監督の特集をやっているが、まだDVDが出ていない「冷たい熱帯魚」と「恋の罪」を先週と昨日続けて鑑賞した。どちらも、人間の本性をえぐりだす快作。特に「恋の罪」は今年の自分の一番に近い。R18指定になっているが、それが申し訳程度に思えるグロさ。「GANTZ」のグロさとはえらい違い。グロさがリアルなんだよな。本2作品の場合は、銃を使わずナイフや包丁で、純白の布を血で染めるから本当にエグイ。でも、それが我々観客の心を極限まで高揚させるのである。

それにしても園監督は、俳優を育てる。「紀子の食卓」の吉高由里子にしても、「ハザード」のオダギリジョーしかり。「愛のむきだし」の満島ひかりは代表。近作では、「冷たい熱帯魚」のでんでんや、「恋の罪」での神楽坂恵。俳優の潜在力を引き出すという意味においては右にでるものはいないといってもいいかもしれない。

これから数カ月は園子音モード。「ヒミズ」には園監督の過去の作品でおなじみの俳優が結集しているので公開が本当に楽しみだ。時間があれば、初期の作品ももっと観てみたいな。

Sunday, October 9, 2011

New Digital Camera

Finally, I bought a new digital camera. I have been feeling my SLR, Olympus E-420, still big (it was actually the smallest SLR camera back in 2008) to carry all the time. My smart phone (Xperia) is not satisfactory in the startup and latency times and the quality of the photos.

My choice this time was RICOH CX5!
What attracted me were the simple design and high performance in reasonable price.
These are the test photos.



The night view seems much better than the last compact digital camera and Xperia. RICOH is famous for close-up shots and I am looking forward to using it for the flowers and so on!

Wednesday, September 21, 2011

原子力発電と社会主義

今回は、日本の原発と原発メーカーの今後について議論したいと思います。


明らかにされた日本の原子力発電の影


3.11以後、日本の原子力発電に関して隠されていた不都合な事実が次々に明るみにでてきている。
例えば、河野太郎議員のブログには、隠蔽されてきた過去の事故が暴露されている。
http://www.taro.org/2011/09/post-1092.php
http://www.taro.org/2011/09/post-1091.php

私は、原子力発電は日本の戦後の経済成長とって大きな役割を果たしてきたと考えている。国家政策として安定的な電力を供給し、重厚長大産業育成の基盤となった。しかし、なぜそれが実現したのかといえば、電源三法による地方へのにんじん作戦。そして、上記のような不都合な事実の官民マスコミによる隠ぺいであった。

国際的にいわゆる先進国での原発の新規増設の実績は、低迷している。まず、自由市場が進んだ国では、そもそも投資家がリスクが高すぎて投資しない。経済的にペイしないのである。電力が自由化された国であれば、太陽光や風力などの自然エネルギーによる発電の方が、はるかに短期的に確実な投資回収を期待できる。しかし、原発メーカーはその国にとって非常に大きな影響力をもっているので、政府の補助金や事故の補償をとりつけて新規立地の計画をする。それでも、最後の実際に建設の承認を地元住民から取り付けることが現実的には相当難しい。原発は確かに安定的に電量を供給できるが、誰も近所に建ってほしいとは思わないのである(NIMBY問題)。民主主義が末端にまで浸透し、不都合な情報が成熟したジャーナリズムや市民社会によって共有されれば、なおさら承認を強行突破することが難しい。

これからの日本での原子力政策はどうあるべきなのか。一番意味がないのは、時間軸や空間軸を無私した脱原発か推進かの神学論争。ようやく毎日新聞が、時間軸も含めた世論調査を行って、段階的な原発削減志向を60%以上の人が持ってることが明らかになった。菅元総理の「原発に依存しない社会」や経済同友会の「縮原発」などの表現は、国民の感情をよく捉えていたと思う。経済合理性に関する議論はいろいろあるけれども、現実的に原発の新規増設が今後日本で実現することはほとんど考えられない。いくら産業界がまだ日本に原発は必要だといったところで、あれほどの事故が起きてしまったあとでは、新型の事故のリスクが低い原発であったとしても、国民感情が許さないだろう。少なくとも、原発維持勢力が意図的に再生可能エネルギーの成長を阻止してきた、全くの愚行は改めねばならない。


社会主義者の原発擁護論


さて、よく考えてみると、原発の立地が(特に最近)実現しているのは社会主義的な国に多いことに気づく。フランスはその典型である。今回のフクシマの事故に関する社会主義者の代表的な意見は次のようである。つまり、今回の事故は民間企業である東京電力の利益追求の姿勢が、福島の原発の津波対策への投資をけちってこんなことになったのだと。(日本の共産党に近い人々がそうであるように)多くの社会主義者は、反射的に反原発を主張しているが、それは原発への根拠のない恐れと、自然エネルギーがすぐに原発を代替えできるという幻想に基づく。真の社会主義者は、原発の事故がおこす負の面に比べて、(原発を止めて石炭火力などが増えることによる)気候変動がもたらす破滅的な害悪と不公正の大きさを考慮すべきだと。また、開発途上国が成長のために必要とする低炭素なエネルギー供給源を奪うべきではないと。
http://climateandcapitalism.com/?p=4707
これはこれで納得できる主張である。ソ連崩壊後、社会主義がもつ悪い面ばかりが表にでているが、一党独裁はリーダーが優れている限りは良い面もあるのだ。気候変動対策などは良い例である。中国は、国際交渉を妨げて大顰蹙を買っているが、一方で大胆な環境規制でドラスティックに省エネ・低炭素化を独自に進めている。民主主義の国では、既得権益保持勢力のロビイングによって規制が骨抜きにされるといった「民主主義の代償」が存在してる。しかし、社会主義国では意思決定のスピードと規制の執行能力が全く違う。中央の理想の追求を、末端まで押し切れるのである。


転換期にある「日本型社会主義」

では日本はどうか。私は政治学者ではないので、何が社会主義・共産主義だとかいうことを正確に理解しているわけではないので、厳密なところはご容赦願いたいが、日本もかつて「日本型社会主義」といわれたように、ある面で社会主義的側面があった。おそらくそれは、官僚主導の中央集権的な国家運営を指していたのだと思う。

その意味で、3.11の原発事故は、日本の民主主義にとって重大な転換点となることは明らかなように思う。エネルギーは生活や地域の産業にとって死活問題なので、原発による中央へのエネルギーの依存は、中央集権の一つの象徴であったのだ。これからの日本には、過渡的にはLNG火力などが増えるにしても、再生可能エネルギーなどの地方分散型のエネルギーが広まることは最も現実味のあるシナリオである。


日本の原発企業の未来?

それでは、日本の原発メーカーはすぐにでも原発事業から撤退すべきなのだろうか。私は、まだ日本の技術者が果たすべき役割はあると考える。それは、日本国内ではなく途上国を中心とする海外である。原子力発電は、10年~20年程度の間は世界のエネルギー供給においてまだまだ重要だと思う。核廃棄物処理や最終処分の問題があるが、気候変動の対策がなかなか進まない現状と、バイオエネルギーの食料との競合などをみると原子力、特に新型の小型原子力発電はまだ人類にとって捨てるべきでない選択肢であるように思う。ポイントは、社会主義国と開発途上国。社会主義国では、最後の水際で原発建設を押し切れる。もちろんフクシマを含めた安全管理における教訓は徹底的に活かすべきことは言うまでもないが。そして、途上国では原発のリスクよりも安定的な電力供給による便益のほうが勝る。したがって、両方を兼ね備える中国やベトナムなどはどんどん新規立地が実現するだろう。ここに、日本のメーカーが入り込む余地がある。ただし、それに日本政府がインフラ輸出だといって、あまりに高いリスクを背負うなど首を突っ込みすぎると、いざ事故がおこったときに日本の国民に莫大な負担を強いることになる。ヨルダンの原子力協定の議論などは良い例だ。是々非々の対応がよいのではないでしょうか。

とにかく、日本のメーカーは国の威信をかけて再生可能エネ技術の巻き返しを図ってほしいよね。レスターブラウンが主張するように地熱はもっと日本が頑張るべき分野だろう。3.11はあらゆる面で日本のターニングポイントになるというか、しないと日本の未来はない。

Sunday, September 11, 2011

[Review] 日本中枢の崩壊


日本中枢の崩壊、古賀 茂明、講談社 (2011/5/20)


<古賀氏の覚悟>

現役の経産官僚、古賀茂明氏の渾身の著作。ようやく読了した。よくまあここまで書いて、そして出版したものだ。すごい勇気だ。だてに、ガンの手術までしていないな。もう失うものは何もないという感じだ。あとがきに、出版の動機が書いてある。

「官僚は政権の指示に従って、余計な口を挟まず、実務をこなしていればいいのだという意見が一般的だ。~中略~。しかし、私は唯々諾々と従うだけが官僚の仕事ではないと思っているのである。むろん最終的には政治の判断に委ねなければならないが、その過程で閣僚とわれわれ官僚が政策論争を繰り広げるのは、決して悪いことではないはずだ。」


2ちゃんでの匿名のコメントですらときに罰せられる時代に、まだ官僚の方々は匿名性と無謬性の文化を保ち、必要な議論ですら密室で行う。そんな中で、古賀さんは現役で実名証言した。本当に国のことを一番に考えている。徹底している。自分は、古賀氏の意見に全ての賛成というわけではないが、その姿勢は本当に尊敬に値すると思う。古賀氏は国家官僚の鏡だ。

全日本人必読の書というのは、全くその通りだと思う。特に若い世代は読んだほうがいい。やみくもに、世代間対立を助長するつもりは毛頭ないが、みしらぬところで既得権益に縛られていて、このままでは日本の将来はじり貧である。古賀氏は最悪の場合「政府閉鎖」すら起こりかねないと警告している。そして、若い人は今のままなら年金も税金も払うなとまで言ってる(苦笑)彼の言い分を聞いておいて損はない。


<現在の官僚システムが諸悪の根源>

政治家・官僚が日本の問題だということがもう20年以上も言われている。しかし、それを私が深刻な問題としてとらえ始めたのはごく最近で、大学3年くらいになってからである。それまでは、日本がいろいろと問題を抱えていることは承知だったが、何が本質的な問題なのかよくわかっていなかった。それよりも、高校までは化学が好きだったので、目の前にある問題などを技術で解決することに興味があった。自分は環境問題に興味があったので、学部で化学工学を勉強する傍ら環境政策にも関心があった。あるとき、友人からなぜ日本では炭素税のようなものが導入されないのかと聞かれた。またあるときには、再生可能エネルギーが伸びないのはなぜかとかの質問を受けた。それで、それに答えるために自分で考えを整理したのだけど、炭素税を導入しない理由がわからなかったのだ。そして、再生可能エネルギーが伸びない理由も、わからなかったのだ。
それで、個別の技術を勉強したって、全く埒があかないじゃあないかとなって、専門を政策の方にスイッチしたわけである。特に、環境NGOでインターンをしたときに、(奇しくも震災で明るみになったわけだが)原子力・エネルギーに関わる政治家・官僚・業界の利権が全てを阻止しているのだということをまざまざと見せつかられたわけである。

そして、一番厄介なのが役人の方々。自分自身も、就職先として国家公務員を考えて、就職イベントに何度か参加したくらいので、古賀さんの書かれていることがとてもリアルに読めた。もし、役人になっていたら古賀さんのような上司のところで働きたいと思ったが、古賀さんは自分のような改革派はだんだん少なくなり、今では絶滅危惧種だと書いてある。そして、自分が肌で感じているものも同じだ。元外相で経済企画庁にいた大来佐武郎氏の評伝には、高度経済成長期の日本でいかに若手官僚が活躍したのかが克明に記されている。それなのに今の状況は、若手官僚の改革意欲がことごとくつぶさるシステムになっている。試験も受けずにこんなことを言うのは、並々ならぬ努力をして国会公務員になられた方々には失礼かもしれないが、今のタイミングで官僚にならなくてよかったと思った。それにしても、孤立無援に近くても、信念を貫き、私利私欲に走らず国のことを考え、政治家にもきちんとモノを言う。官僚になる前の自分ですら、言葉が官僚的になっていた時期を思い出すと古賀氏の率直な物言いには頭が下がる。


<日本政治の短期シミュレーション>

今後の日本はどうなってしまうのだろう。そういえば、また首相が変わったんだっけ。。。
野田政権では、古賀氏の経産省事務次官起用は難しいだろう。鉢呂経産大臣が、大胆な改革を目指していながら、1週間そこそこで実質的に与党守旧派、官僚および記者クラブに失脚させられたのがいい例だ。7月の松本龍復興相の失言引責辞任のときとは状況が全然違う。これでは、もう民主党には何にも期待できない。初めての大きな政権交代だったのだから、いろいろ経験しないと分からないこともあった。だから、失敗は多くあったけど、寄付税制改正や再生可能エネルギー促進法案が通っただけでも、民主党の存在価値はまああったといえよう。ただし、次の総選挙でも変われないとしたら日本は本当に終わりだと思う。民主党が安部政権以降の自民党政権末期の状況と酷似していることを考えれば、おそらく野田政権はしばらくの間空白を埋めるだろうが、次の総選挙までにはもう一度首相交代するか、民主党が割れて政界再編が起こるのではないか。

自民党がなんとかして河野太郎さんを中心に守旧派を一掃して再生すれば、次の選挙で与党復帰もある。おそらくみんなの党は、自民党の再生いかんに関わらず票を伸ばすだろう。河野首相の自み連立政権でなら、公務員制度改革や財政問題など大きな課題に取り組めるはずだ。そのあたりが、もう唯一の希望。福山さん、馬淵さん、長妻さんら民主党の実力派は、しばらく表舞台から遠ざかるだろうが、民主党が負ければ、執行部に再び入って建設的な議論を野党としてやってくれるはず。それがもう唯一期待できるシナリオ。


<日本の将来は国民一人一人が作り上げる>

しかし、最終的にはやはり国民一人一人が変わらないといけないのだと思う。記者クラブに牛耳られた今のマスゴミに踊らされているようでは、リーダーが変わったところでまた官僚と一部業界の既存のシステムの延長路線に吸い戻されるだけ。また、小沢一郎も言った。「国民以上の政治家は生まれない」と。自民への嫌悪感もあったろうが、小沢のばらまき政策で勝ててしまうのが日本の国民の政治意識の現状。古賀氏も繰り返し本書で述べていたが、まずお上に頼るというのはやめよう。国民が変わらなくちゃ、政治家は変わらない。政治家が変わらなければ官僚も変わらない。官僚が変わらないければ、政策も変わらない。政策が変わらなければ、日本の復活はない。

若い世代も変わらなくちゃならない。いや、若い世代から変わらなくちゃならない。自分自身への言葉でもあるが、親のすねをかじっていたのでは駄目だ。親が出してくれるからってニート生活を続けるなんて論外。だから、高齢層が我が子かわいさに、既得権益保持に気持ちが傾くのだ。あんな、雨後のタケノコのように乱立した私立大学でキャンパスライフを若者が無駄に消費できるのは、もうあと数年もないだろう。あんな一様な面白くもない、英語も話せない新卒の人材を生み出す就職活動の波に乗っかっていたら、どんどんアジア人材に雇用を奪われる。内向き世代などというレッテルは蹴散らしてやるのだ。


まあ、いろいろと書いたが、本書を読んでマスゴミに騙されないようにしよう。自分で政治家の仕事を評価できるようになろう。本当は、とても優秀な役人の方々が本来の仕事ができるように応援してあげよう。

[Review] Brutus No.716 恋愛特集

蒼井優の表紙に惹かれて、Brutusの最新号の恋愛特集を買ってみた。


★★★★★

恋愛の歴史的起源とかニーチェも愛したザロメの話など極めて硬派な記事から、大根仁さんを含むコメンテーターのQ&Aなどのお茶らけた記事までバラエティに富んでいた。実用的な話はあまり多くなく、全体として読み応えのある深い内容だった。

蒼井優が、3回登場する。今回のインタビューに限らずいたる雑誌で恋愛の不器用さをアピールしているけど、それでいてしっかり恋愛を楽しんでいるところが好き笑 「恋のメッセージは、語られるより活字の方が好みです。」とかいうから、蒼井優はやっぱスペシャルな女優だよなー。今回の特集の中で、いろんな作家や詩人が出てきたけれども、太宰治は恋愛の天才だと思った。蒼井優が惚れるのもわかる。

立川談春さんの「恋と落語」の記事もおもしろかった。江戸時代の幕府公認の遊郭である吉原では、花魁(キャバ嬢みたいなものか)たちに拒否権があったのだという。だからお金を払って行くのに嫌われて何もできないこともある。それが、「粋」とか「野暮」という言葉につながり、今日の日本人の価値観や美的感覚にもつながっているのだそうだ。

糸井重里さんも実は登場する。糸井さんはコピーライターだから普通導入部分でよくみるけど、今回はトリで出てくる。4部構成の力作。第2部「差異があるから恋愛が生まれる」というところに同意した。糸井さんいわく、最近は性の性愛(Sex)の方だけ一人歩きして、~性(Characteristics)の方が忘れられているという。ミスチルのSignの歌詞「似てるけどどこか違う、だけど同じ匂い」と類似。やっぱり自分と違うところ持っている人に惹かれるよね。

盛りだくさんだが、最後は坂口安吾の名文で締めさせていただく。(p.21の佐々木中氏の記事から抜粋。)
「教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。
 恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていてもそれをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものだから。」 (坂口安吾全集05、筑摩書房)

たくさん失敗しよう!

Wednesday, September 7, 2011

Emobile & Future of Tablet

I was at my hometown and writing this post on the express train to Tokyo. This week, I contracted emobile finally and got an access to internet all the time. The connection speed is satisfactory. It seems the price of 3880 yen per month pay out for this.

Before departure, I dropped by my grandma's grave. She has been dead for 10 years; The two day before the 9.11 terrorist attack in New York. The news always reminds me of the day she passed away. She often asked me "what are you going to do in future?." Fortunately, I got a job that I have wanted from high school days. This is not the goal but gonna be just a beginning of my career.

These days, I wonder what is the future of tablet such as iPad like. Steve Jobs invented MacBook. Then, came iPhone. And the iPad. Tablet was the alternative of netbook and was the medium product of smartphone and notebook PC. So, what is the next brand new product? I cannot imagine any others that is not much the same as existing one. The hardware products seem almost saturated. The retire of Jobs cast dim future of the innovation in e-gadgets.

Tuesday, September 6, 2011

Nepal Visit

また前回の投稿から間が空いてしまった。8月中は2週間ほどネパールに行っていました。大学の基金のプログラムで飛行機代を出してもらって、かなり自由に動いてました。
主目的は、国際開発サークルIDAのプロジェクトのシステム試作品のネパールチームへの引き継ぎと、導入予定の村の視察。詳しくはこちらを参照。
一方で、ネパールのバイオエネルギー普及に関する研究の手伝いもしていました。そちらについては、こちらを参照。
世銀やマイクロファイナンス機関の方、内定しているコンサルの社員の方などとも会う機会を持て、学生最後の夏にのびのびと充実した経験をすることができました。


昨今、フェイスブックといったSNSが氾濫しているいるけれど、やっぱりものごとを前に進めるためには、直接の人的交流が不可欠だということを痛感した2週間でした。SNSは、きっかけや関係の継続には便利だけど、人を動かすにはやっぱり会わないとね。。。

向こうでは、主にIDAのネパールのメンバーの家にホームステイさせていただき、ネパールと日本の料理を交換に作るなどメンバーのご家族とも交流してました。貿易商であり、国際交流にも熱心なお父様からは、ネパールの状況について様々な話をきかせていただきました。特に、国内の不安定な政治状況について、悲痛なまでに嘆かれていたのが印象的でした。向こうでは、2002年におきた国王一家虐殺事件あたりから、国王統治の人気が落ち、数年前にマオイストがその受け皿になって選挙で大勝しました。しかし、このマオイストが全く厄介な政党で、まったく政策策定能力がないのに、選挙で勝ってしまったものだから、やることといえばストライキくらい。それでもう議会と内閣は全く機能せずに、もう3回も憲法制定の期限を延ばしているのに、草案すら作成できていいない状況。こんな不安定な政治状況では、投資があつまるはずもなく仕事はない。それゆえ、インドや湾岸諸国に大量の出稼ぎ労働者がいて、国の4分の一ほどのGDPが外貨送金によってまかなわれているというほど。状況は、突然悪くはならないけど、いろいろなところで悪循環が起きていて、日に日に状況が悪くなっている感じ。とても、国の将来の希望を見出しづらい。

このような状況だからなのか、一見おとなしそうな人も含めてハードロックやメタルが好きな人が多い。ゲバラやボブ・マーリーはいうまでもないが。ホームステイ先の娘さんの8歳くらいの華奢な男の子は、メタリカと米プロレスとレアルマドリードが好きなようだった。やはり、状況打破、破壊願望をみんな強く持ってるのだろう。
最後の日には、彼の部屋からGreen Dayの21 Gunsをくりかえし口ずさんでいたのが印象的だった。



One, 21 guns
Lay down your arms
Give up the fight
One, 21 guns
Throw up your arms into the sky
You and I

ひとまず今回のネパールでお世話になった方々に感謝。10月に入れば、授業と研究で日を追うごとに忙しくなるので、やりたいことをやるなら今月中が勝負。といっても、論文などやるべきことはたくさんたまっているのだけど。とりあえず今正月に小学校の同窓会などを企画している。学生時代にやり残したことを一つづつ締めくくるのだ!


Sunday, July 24, 2011

The Ultimate Goal of Education

After finishing my job hunting activities in June finally, I am now preparing for mid-term poster presentation of my masters course and research visit in Vietnam at the end of September. Along side the research, I am continuously meeting old friends and dedicate most of personal time to IDA, university club. I have been tired of noises in twitter recently and trying to get back my chance to write more daily essays.

Today, I would like to write about the purpose of education― What is the ultimate goal of teaching?

Good Academic Score?
The simplest answer to the question would be to make students get higher academic scores in each subjects. This view I think is dominant in Japan and other Asian countries such as Singapore and Taiwan where the Confucian culture is common. According to the view, the higher scores a student get, the more successful he/she can be in future. This is true in Japan; If a student can get good score, they can pass national exam such as public servants and have better chance to enter popular firms. There exist two problems, however, behind the view.

First, higher academic score does not always leads to higher performance in their current job. In Japan, much of the assessment of the classes are still written exams and do not capture the overall progress of their true abilities. As a society, this makes labor market ineffective. Thus we need to adjust our way of assessment according to the needs of society. For example, assessment of group work, as is often the case in western university, are better way to incorporate the ability in team settings.

Second, students may stop studying after the graduation. Quite a few university students do not study much in Japan. Passing fierce competition in entrance exams, all they do is part-time job and play around. Also, lifetime employment in national bureaucrats and big companies in Japan has produce lazy employees (though the tendency is changing rapidly due to dynamic change in market structure).

For these reasons, I do not think the education putting much emphasis on academic score is the most effective one. So, what would be the alternative?


Nurturing the Motivation!
In my opinion, the purpose of education is to let students love the subject. I believe it is important because once students liked the subject, they will study by themselves even after they graduate from their school. For my case, I loved studying geography and chemistry thanks to the teachers who gave me intriguing classes with full of trivial tips. It might be historical background, the struggle of early scientist and inventors and the linkage to the society today. Anyway, I owe much to the teachers that I am today.

In fact, OECD's PISA* added a criteria "engaging with written texts" in reading section of 2009 survey. It reflects some need for assessing the motivation aspects of the students.


Thank you for reading and tell me your opinion about the purpose of teaching!


*PISA=Programme for International Student Assessment
http://www.youtube.com/watch?v=Ugz_1Clpsdk

Sunday, April 10, 2011

何度も聴きたくなる音楽の条件

Foo Fightersの新作『Wasting Light』の日本版リリースが4/20に迫ってきているが、今月のrokin'onでメンバーのインタビューを読んでますます楽しみになった。まあ、もうここで全曲視聴できるので、すごく良いのは承知だけど。



今回のアルバムの最大の特徴は、ある意味時代に逆行して、デイヴのガレージでのアナログレコーディングを採用しているということ。そして、それが大成功していると感じる。以下、インタビューの関連部分の抜粋(一部省略)。

デイヴ「このアルバムは毎日のようによく聴いてて、そんなアルバムは久しぶりなんだけど、俺たちらしいサウンドだから好きなんだと思う。」

テイラー「俺もこのアルバムを聴くのが好きなんだけど、多分その理由の一つは、人間味があるからだと思う。今時のアルバムって完璧に作り込みすぎてるから三次元的な面がなくて平坦で、ヴォーカルの音程もドラムやベースのタイミングも完璧で、一度か二度聴いたらもう聴く部分がないんだ。でも。昔の音楽を聴くと『スターウォーズ』のサントラとかなんでもいいけどさ、聴くたびにちょっとした不完全を発見する。ちょっとした人間味がそこにある。これは、俺の持論だけど、そういう人間性がある音楽こそ何度も聴きたくなるものだと思うんだ」

デイヴ「アーケイド・ファイアがグラミー賞の最優秀アルバムを受賞したのは、素晴らしいことだよな。レコード業界の人たちが“人間らしい音”がしない音楽に飽き飽きしていることの表れに思える。彼らの音楽があれだけ公に賞賛されたっていうのは、一大事だよ。巨大な勝利だと思う。バンドたちにとってのね。」


もう、4.White Limoなんてガラージ感抜群で何度聴いても飽きないよね。それはぶん、ラウドであってもメロディーが卓越しているというFoo Fightersの特徴(デイヴはクラシックギターも大好きで、アコースティックの作品も出している)もあるけれど、やはり無意識のうちに質感としてあらわれている微妙な不完全さ―人間味―なのだと思う。これは、なぜいまだに多くの人が昔のアナログのレコードの音に愛着を感じるのかということとも通じる。また、音楽に限らず、スタジオ・ジブリがかたくなに手書きのキャラにこだわり、そして世界中でファンを獲得し続けているのかということとも通じると思う。私自身も、クレヨンしんちゃんやドラえもんなどの長寿アニメに関して、最近のCGっぽくきれいになったやつよりも昔のような手書き感のある絵の方が好きだし。

デジタルはデジタルで独特の質感があって、それを積極的に採用するのも一つの手法だけど、単に商業的な理由で最新機器を使っててっとり早く完成度の高い作品を作っても、それが長く愛される作品となるかは甚だ疑問だ。いかに技術が発達しようとも、芸術に関しては「不完全さの残った人間性」から人間は逃れられないのかもしれない。

Wednesday, March 16, 2011

Hospital Days

この2週間は、いろいろなことがあって、もういい加減にしてくれという感じでした。世間的には、東北地方太平洋沖地震と津波と原発事故でもちきりですが、それについては次回の投稿に回すことにします。実は、自分自身は今月の4日にスキーで左腕を骨折して昨日まで地元の病院に入院していました。簡易ながら、人生初の全身麻酔の手術と入院生活を経験しました。

怪我をした日は、3月にしてはかなり吹雪いていて視界が悪い状況でした。それに加え、初心者で久しぶりのスキーなのに勢いで山頂の方まで登っていってしまいました。それで、スピードが出すぎて前に倒れ込みながら左腕をストックと一緒に巻き込んで、やってしまいました。今まで骨を折ったことはなかったのですが、手は動いても肩から下が垂れ下がった感じで動かせず痛みもあり、すぐに折れたのがわかりました。何年か前の田中達也の骨折のシーンを思い出しました。それから、レスキュー車に乗って医務室で応急処置をしてその日のうちに群馬の実家に戻り、翌朝地元の病院へ。9日から入院し、10日にボルトで骨を固定する手術をしました。

翌日の11日午後に、例の地震があり病院でも震度6弱の揺れでした。私のいた整形外科の病棟は、一番新しく、物も紙一重で落ちない程度で済みました。しかし、手術室ではいくつか天井のパネルが落ちたという話も聞き、前日の同時刻に手術をうけていた私は、一日ずれていたらと思うと少しぞっとしました。

術後の経過は良好で、リハビリは数ヶ月かかるものの、昨日無事退院することができ今実家に戻ってこのブログを書いています。怪我をしてから思い出したのですが、今年は厄年で、ちゃんと厄除けまでしたのに不幸が振りかかるところは厄年なる所以でしょう。おそらく、厄除けしたところでそれに安心してしまって、結局人生における厄年の持つ運命は変えられないなのかなあと思います。怪我をしたこと自体は不運で、いろいろ他人に面倒見てもらわないといけなくなり、生産性もガタ落ちなのはまあそうです。ですが、作今のニュージーランドや日本の地震で、命を落としたり、命は助かっても足を切断しなければならなかった方の記事を読んだり、また怪我する前日にDAYS JAPANのイベントで地雷で手足をふっとばされた方の写真を見たりして、五体満足でいられることの意味が今までと比べられないほど違って感じるようになりました。また、同じ病室の他の方は3方とも脚で、一月を超える治療とリハビリに苦労されているもいました。折ったのが足でなく、しかも利き腕でなかったのは不幸中の幸いでした。


さて、ここからは入院生活の日々に感じたことを書いてみます。

・時間を埋める毎日
平時では時間をどうやりくりするかに苦労するが、入院中は時間をどう埋めるかが重要な課題となる。日中は、長いといいつつも同室の患者さんと話をしたり、三度の食事をしたりするうちに何だかんだ時間は過ぎていく。しかし、夜は勝手が違う。
まず携帯電話をいじくってみる(整形外科なので使用はほとんど黙認されている)が、自分が活動休止中なので特段動きはなくすぐに飽きる。次は、テレビをつけてみる。どれも地震ばっかりで気が滅入るので長く見る気にならない。今度は音楽を聞いてみる。普段聞いているロックは、気分をハイにするので病院で聞くには向いていない。ジャズなども最初は効果的だが、やがて飽きてくる。それならばと本を読もうとするが、いろいろ体勢を変えてみてもどれも腕を使うのでなかなか集中できない。最後はあきらめて、眼を閉じて寝ようとするが体も頭も疲れてないのでなかなか寝付けない。寝られたとしても、術後数日は痛みがあって眠りが非常に浅くなる。
こんなことを繰り返して、なんとか時間をやり過ごした。

・三者三様の同室の患者さん
病室はたいがい4名がカーテンで仕切られて一緒に滞在している。私がいたのは入って左手前の角で、私の正面には同じくらいの年代のAさんがいた。Aさんは、フォークリフトで脚をはさみ、入院一月ほどで、膝・足首の曲げ伸ばしのリハビリに移行いていた。どちらかというと自分は寡黙な方だが、誰か一人周りに人当たりがよく聞き上手な人がいてくれれば、会話をはずませることに貢献できないわけではないと思っている。Aさんは、まさにそのような人で、入院中に想定していた決まりの悪さに辟易することは最後までなかった。
私の、対角の窓際にいたのは60歳くらいだがやんちゃで若々しいBさんだった。彼は、スキーで膝が反対に曲げられることによる陥没骨折で私より2週間程度早く入院していた。Bさんは、普段は設計事務所経営の建築家でその豊富な経験からいくつもの面白い話を聞かせてくれた。
一番面白かったのは、オープンキッチンについての話である。近年、キッチンとダイニングルームの間の壁をとりはらったオープンキッチンが新築では主流になっている。しかし、こうなったのは長い目で見るとごく最近のことなのだそうだ。Bさんによれば理由は2つある。1つは、戦後の多摩ニュータウンに象徴されるように、階ごとの面積の小さい家屋が増えたことにより、キッチンとダイニングルームの間の壁をとりはらうことで視界をひらき、圧迫感を和らげる需要があった。2つ目は、核家族化により、時間と経験で余裕のあるじいちゃんばあちゃんが子供の世話することがなくなり、母が料理中も子供の面倒を見る必要が出た。そこで子供に目を配れるオープンキッチンの出番となったらしい。しかし、Bさんによればオープンキッチンには2つデメリットがあるそうだ。まず第一に、母親が常時子供に目を届かせることが習慣化し、思春期の反抗的な子どもは過剰な親の監視や干渉を感じることがあるそうだ。あるいは、母親が神経質になっていわゆるモンスターペアレント化の一因になることも考えられる。第二に、お父さん方にとってより重要な問題だが、料理の過程を人にみられることによって途中のみてくれを気にするようになり、最終的な料理の味がまずくなりうるということだ。もちろん、共働きの増加で料理の過程も家族の団欒の一部とする新しいスタイルに合うなどポジティブな面もあり、一概に悪いとはいえないだろう。しかし、家の空間においても現代の過程の諸問題が映しだされていることの一例を教えてもらい、設計の奥の深さに気づいたのであった。
さて、話がそれたが、3人目のCさんは、ちょっととっつきにくい肉体労働系の中年の方であった。「なっから」「うんとこさあと」「よいじゃあねえ」「けえる」などの純群馬弁がよどみなく出てくるのは聞いていて何だか落ち着いた。Cさんいわく、太田市のあたりが日本で一番けんかっぽいしゃべり方らしい。

・入院の影響
酒とたばこが(少なくとも現段階で)ほしくなくなった。規則正しくなった。きっちり8時、12時、18時に三度の飯がほしくなった。夜10時でも寝られるようになった。昔からやや頑張りすぎる傾向があるが、無理をしなくなった。治療は焦らないことが大事。急がば回れ。ゆっくり急げ。整形外科ではちゃんと食べられる割に動けないので、筋肉がそのまま肉になった(笑)。こんなところ。

・中学の同級生と再会
入院して2日目の手術当日の担当になった看護師さんがなんと中学の同級生のS君で、そんなに当時仲良くしてたわけではないけど向こうは覚えてくれていて、不安が少し和らいだとさ。


来週から段階的に研究と就活などを再開させますが、生活の便を考えてしばらくは実家からの通勤となりそう。よく考えてみると、こんなに長く実家にとどまるのも大学に入ってから初めてのことです。しばし、家族との時間を楽しもうと思います。あ、もし私に会う機会がある人がもしいれば、小魚を与えみてください。良質のカルシウムは、非常に喜ばれるでしょう(笑)


<蛇足>怪我してから鑑賞した作品のレビュー
・映画
「川の底からこんにちは」、今井裕也監督、2010、★★★★★、今井監督のユーモアセンスと満島ひかりの魂の演技に感動。
「悪人」、李相日監督、2010、★★★★☆、「殺したやつだけが悪人なのか?」を描き出す素晴らしいプロットだった。
「Love Actually」、Richard Curtis、2003、★★★☆☆、妹が借りてきたやつ。思ったよりは楽しめた。
「P.S. I Love You」、 ★★★★☆、妹が借りてきたやつ2。Gerald Butlerの恋愛ものは連続して予想外によかった。納得のラスト。
・小説
「グレート・ギャツビー」、スコット・フィッツジェラルド、1921(村上春樹訳、中央公論新社)、★★★★★、村上春樹の訳書は初めて。読み進めるうちに、描写の繊細さに吸い込まれた。村上春樹特有の比喩につながる表現も見受けられた。好きな部分。
「判断を留保することは、無限に引き延ばされた希望を抱くことにほかならない。」p.10
「病んだものと健康なものとのあいだの相違に比べれば、人間一人ひとりの知性や人種の違いなんてそれほどたいしたものではない」p.225
「『僕は三十歳になった』と僕は言った。『自分に嘘をついてそれを名誉と考えるには、五歳ばかり年を取りすぎている。』」p.320

Wednesday, March 2, 2011

国は社会的損失を直視して花粉症対策をスピードアップせよ

先日の花粉症に対する以下の連続ツイートについて続きを書いてみた。
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今日完全に花粉症を発症した。全国の花粉症のみなさま、数か月耐えましょう。そして、放置杉林の間伐など抜本的対策への支持を。林業の方に聞いた花粉大量発生の原因:http://bit.ly/eVnfH0 東京都の対策http://bit.ly/giTQ2U

東京都の花粉症対策検討委員会の委員は、林業関係者が少なすぎじゃないか。http://bit.ly/hifHSk 治療で製薬会社とか儲けさせるより、発生源対策を社会でしっかりやらないと。

国も何かやってほしいよね。それくらいひどいと思う。日本の花粉症という現象は。海外にはないよ、こんな社会の効率を大規模に下げる現象は。

石原さん珍しくいいこと書いてた。http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no35.html
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<省庁の連携と予算の大胆な配分で花粉症対策のスピードアップを>
ある方からの指摘があり、花粉症は花粉と同時に大気汚染物質と合わさってひどくなることが分かった。詳しくはこちらの記事を参照。したがって、林野庁の発生源対策と同時に環境省の管轄となる大気汚染対策も重要になる。また、当然厚生労働省が応急処置としての医療的アプローチについては責務を負う。したがって日本の役所の縦割りな性質が、ここまで対策が遅れた構造的な原因となっていることは否めないだろう。
その後調べてみたら、国の各省庁も現状で一応連携して対策しているらしい。

自分が一番関心のある発生源対策としては、林野庁が「少花粉スギ等花粉症対策苗木の生産体制の整備」などに約70億円の予算で進めているようである。

しかし、花粉症の与える社会的損失の甚大さをよく考えてほしい。
日本全体の花粉症に費やされる医療費は年間約2000億円とされる。また、夜間の鼻づまりによる睡眠の質の低下による日中の眠気の増大や、くしゃみ・鼻水・目のかみゆ等による集中力の低下などによって労働生産性は1割程度低下するとされ、月に数千億円の経済的損失があるとの試算がある。

また、アトピー性皮膚炎患者も近年増加傾向にあり、花粉症と合併する重症化することが指摘されている。私はこれに当てはまるのだが、実感として毎年この時期はダブルパンチからか耐え難いストレスとなっている。(ちなみに、この合併発症は、労働生産性に追加的な悪影響があるが、勉学に関しては追加的な悪影響は認められないそうだ。)

研究や発生源対策が比較的時間のかかり、また各省庁・地方自治体との連携の必要が難しい問題であるのは理解している。しかし、毎年数千億円の社会的損失があるならば、費用対効果をよく考えてもっと大胆に予算を配分して対策のスピードアップをはかってほしい。現状の年間2000億円の医療費はGDPを押し上げるとしても、国民の利益には全然なっていなし、たとえ高度な花粉症対策医療が発達しても、それは狭い日本国内でしか需要がないので製薬会社等の長期的な成長への寄与も期待度は薄い。こんな問題を放置してはならない!

<蛇足:今年の花粉症の発症時期と長期的な花粉症問題の見通しについて>
ちなみに、今年は花粉症の発症がかなり遅かったので、私は以下の仮説を立てていた。
1.自分のスギ花粉の免疫が改善した
2.昨年の夏があまりに暑すぎてスギが花粉を作る気力さえ失った
3.12月に20度の日があるなど冬の前半はかなり暖かく、逆に冬の後半は冷え込んだため、木々が冬の終わりの判断を遅らせている。

1は他の人もあまり発症していなかったことから棄却。2は半分冗談で、3が本命かと思っていた。そうしたら驚くことに、2が正しいことが判明した↓

「昨年の夏があまりにも猛暑過ぎて、一部の花芽は熟し過ぎ、花粉を飛ばせないくらいに変形しているという調査結果でしたので、最新の報告では『過去最大』から少し下方修正されて、『過去2番目』という予測になりました」―国立病院機構の石井豊太氏

この記事によれば、今年の花粉症は4~5月にヒノキ花粉の増加によって長期化するらしい。また、考えてみれば昨夏が暑すぎただけで、今後夏期の平均気温が温暖化で上昇すると平均的な花粉の飛散量は何も対策しなければ増加していくということである。本当に国は本気になってやらないと、温暖化による飛散量の平均的な増加(とそれに伴う発症者の増加と低年齢化)に対して、対策はとても追い付かないのではないか。このあたりの長期的見通しも直視して、国は対策をスピードアップしてほしいものである。

Monday, January 31, 2011

「若者の内向き志向」再考

久しぶりのブログ更新。
最近よく「日本の若者は内向き」と聞くのだけど、どうも実感としてしっくり来ないんだよなーと思っていたところ、リクルートがタイムリーな記事を書いていた。

「若者は内向き」という誤解

要するに、日本人留学生の減少という主張は、
①留学先がアメリカ一辺倒だった時代からアジア等を含めた多用な地域に分散しており、総数では2007年まで増加している。
②留学適齢人口(18~29歳)は97年をピークに27%減少しており、この人口あたりの留学生の数ならむしろ増加している。
という2つの事実を見逃しており、全くの誤解だということ。
①に関しては、何を隠そう私もアジアのシンガポール国立大学に留学した経験があり、確かに未だに有力な留学先であることには変りないが、今更何がなんでもアメリカ留学などというのは確かにおかしいと感じる。


しかし、これらの誤解がとけたとしても日本の国際派エリート層育成という面でみると依然として悲観的にならざるを得ない。
適齢人口あたりの総留学生数が減っていないとしても総数が減っていることは事実でありエリートの層の厚さという面で他の新興アジア諸国に劣ることは事実である。

また、以下の表を見てほしい(クリックで拡大)。

出典:IIE Open Door

これは、アメリカのみへの留学生へのデータであるが興味深い示唆が得られる。留学の教育レベル(学部、大学院、ノンディグリー(含む語学研修)、職業訓練等)で見たときに、エリート層・一流の研究者としては大学院における留学が重要であるが、日本は他の新興アジア諸国に比べ大学院の比率が21.7%と低い。一方、中国、台湾、インドは軒並み大学院留学の割合が50%を超え、国際派エリート層の厚さは圧倒的である。
この日本の教育レベル別の割合は、近年アメリカへの留学生が急増しているサウジアラビアと酷似しているが、これは比較的裕福な国は経験としての留学、半分遊び感覚のそれほど真剣でない留学の割合が多いということだろう。つまり、実質的に一流の研究者として活躍している日本人は減っているのではないか。

さらに、総数でアメリカ留学者が2008/2009から2009/2010にかけて15%も減少しているのだが、適齢人口当たりでみたとしても減少傾向とえいるだろう。これは、単に若者が内向き志向だからなのではなく、おそらく近年の厳しい家計の経済状況や、リーマンショック後の企業の人材育成予算の減少などから「経済的な原因で」減っているのではないだろうか。

追記
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大学院の割合について誤解があったので訂正する。

出典:同上

日本のアメリカ留学者の経年変化を以下の表から見てみると、大学院の総数は減っているが割合はむしろ増えていた。
それよりも顕著なのは学部生の割合が減り、語学研修などのノンディグリー及び職業訓練などの「短期」留学の割合が増えていることだった。もともと、学部留学生の割合が多いのは、4年間の学費を賄える資金力があるからであって、必ずしも悪い特性ではないのかもしれない。

以上をまとめると、日本の海外留学は、適齢人口あたりでみてもアメリカでは減っており(適齢人口は10年で四分の一の減少だが留学総数は半分程度の減少)、より物価の安い地域や短期留学が増えているといった実態が垣間見える。その結果、総数の減少に加えて、腰を据えた比較的長期の留学の割合が減り、日本の国際派エリート層の質と人材の厚さはこのままでは先細りになるだろうと考えられる。
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以上の統計的な誤解の解消を踏まえた上で、日本の若者の海外留学減少の処方箋として何が考えられるだろうか。私からは以下の4点が思い当たる。

・就職活動の通年採用の増加
留学するくらいの気概と能力のある学生ならば、通年採用でとってもらえるとも考えられるが、それでも一括採用の流れに乗れないことによる不利は否めないところがある。それゆえ、通年採用を増加させ有能な人材を獲得するチャンスを増やすべきだろう。有望な留学上がりの新卒はバイトなどでキープして適性を見て、一括と一緒に正式採用するのもよいのではないか。

・少子化対策
人材の厚さという面で考えると、少子化を止めることは根本的な解決索の一つだろう。

・奨学金の充実
中国などは、一人っ子政策によって一人に教育投資を集中させて留学資金を賄っている面もあると思うので、エリート層の厚さを考えるなら優秀な学生に留学などの経験を積ませるようにもっと国は奨学金を充実させる必要もあるだろう。

・優秀な留学生の積極的受け入れ
優秀なアジア等からの留学性は、勉学姿勢や授業での質問の積極性など日本人学生に対してポジティブな効果をもたらすことは私の実感としてある。留学生との交流は、(実際自分が留学することにくらべれば遠く及ばないが)日本にいながら異文化体験をし国際感覚を磨くことができる。


以上、海外留学に着目した「若者の内向き志向」に関する再考でした。留学以外の面での考察は次回やろうと思います。