Sunday, February 26, 2012

機能する官僚制とは?

先日、修士論文の発表が終わり、ほっとしている今日このごろである。しばらく、研究のことしか考えられなかったので、就職までしばし与えられた猶予を使って駄文をしたためることにしよう。


現在の官僚依存体質の源流


日本の様々なところで行き詰まりを感じるのは周知の事実だと思います。その原因の一つは政治の官僚依存体質だろうということは以前の投稿でも書きました。ふと思いついて、今日NHKオンデマンドで「さかのぼり日本史 明治 官僚国家への道」を観ましたが、現在の問題の源流をみた気がして面白かったです。そこから自分が考えた、現在の官僚の問題の遠因を2つ紹介します。


一つは、戦後GHQによる内務省の分割。内務省は岩倉使節団の大久保利通のドイツ視察がきっかけとなり、1873(明治6)開設された官僚中の官僚組織です。当時は、地理、交通、総務、勧業、警察など多くの部門を含み、これらを有機的に組み合わせて、初代内務卿(大臣)の大久保は富国強兵に大きく貢献したのでした。戦後内務省があまりに権限が大きいことからGHQにより分割されましたが、これは今の省益に基づく縦割りの弊害を生む原因の一つとなったのかもしれません。

もう一つは、1889年の明治憲法制定。これによって官僚の特権が実質的に生まれました。これは、良い意味での政治家の右腕となるエリートの育成であり、その後の急速な近代化に成功できた要因の一つです。しかし、政府は議会や政党に左右されずに、(官僚が専門的に研究したことに基づいた正しい政策によって)政治を行うべきであるとする「超然主義」に代表されるように、議会・民意の軽視するマイナス面も合わせもっていた。欧米列強の脅威から、急速な近代化が求められた状況では非常に大きな効果を示したが、現在の国民主権といいつつ実質官僚にすべてを牛耳られた状況の要因の一つはここにあるような気がします。おそらく、戦後復興までの段階までは、国益全体のために奉仕するという高い倫理観があったはずですが、その後長期にわたる自民党政権の政官癒着がたたって、近年は目も当てられない省益追求の自己保身でしかなくなっています。


日本の官僚の3タイプ


このような官僚の変遷について、真淵勝先生の「官僚」にはいくつかのモデルが紹介されています。それによれば、日本の官僚は国士型官僚、調整型官僚、吏員型官僚の3タイプが存在するそうです。国士型官僚は1960年代までのほとんどすべてのキャリア官僚で見られたタイプで、行政は政治の上にたち、政策形成は政治家や利益団体とは距離をおいて公益に基づいてなされるべきだとの認識をもっています。調整型官僚は70年代以降登場し、行政と政治は対等であり、政治家や利益団体と協調し、様々な利害の調整を行うことが官僚の役割と認識しています。村松岐夫「戦後の日本の官僚制」での用語では政治的官僚にあたります。吏員型官僚は80年代中頃以降、官僚批判が高まる中で登場したタイプで、行政は政治の下おかれるべきで社会とも距離をとり必要最小限の仕事だけしようと考えるタイプです。

表1に示すようなヨーロッパの政官関係においては、理念の提示、利害の調整、政策の形成、政策の実施の4つの機能が政治家・官僚の担いうる役割としてあげられており、しだいに官僚と政治家の役割の共有が進んできたようです。私の印象では、イギリスとドイツなど国によって違うのでしょうが、まだまだ政治家の役割が強い印象です。先の日本の官僚の三タイプを同じ機能別に私があてはめてみたのが表2です(たぶんに推測ですのであしからず)。





ここから分かるのは、国士型がポピュリズムを排除して徹底的に公益のために尽くすという意識から利害調整というものがそもそもあまりなかったといえるでしょう。だんだんと、経済のパイが増えるに従って分け合う利権もでき、自民党と経団連をはじめとする民間の利益団体との調整役として調整型官僚が登場します。真淵先生の著書では、去勢された吏員型官僚が近年増加しているとのことですが、そのぶん調整型官僚の悪玉の存在感が増しているようにも見えます。そして、政治家の体たらくで、理念の提示すら実質的に官僚がやっているようにも見えます。その要因は、霞が関文学、御用学者の活用など委員会運営の実態など、これまで利害調整と政策決定を官僚が独占できた暗黙知の部分があらわになりつつあるからだろう。


機能する官僚制度にむけて

ここまでいろいろと官僚の歴史と役割についてみてきましたが、今の日本で機能する官僚とはどのような姿なのでしょうか。少なくとも、国士型官僚のような役割をする層とそれを使いこなす政治家のタッグは不可欠でしょう。戦後を代表する国士型官僚は、大来佐武郎氏(逓信省→外務省→経済審議庁→経済企画庁、のち外相)や堺屋太一氏(通産省のち小渕内閣で経済企画庁長官)が挙げられるだろう。要するに、欧米のシンクタンクの役割を有能な若手~中堅の国士官僚が果たしていたのだろう。堺屋太一氏は橋本大阪市長のブレーンとして、未だに影響力をもっており地方から改革を起こしつつあるが、今のシステムに組み込まれた官僚にはあんな発想はできないよね。また、原発事故後の「日本中枢の崩壊」の上梓で時の人となった元経産省の古賀茂明氏は、国士型官僚を理想としていたが、今の経産省はじめとする省庁は組織としてそれを許容できなかったということだろう。

具体的な対策としては何が考えられるだろうか。堺屋氏は古賀氏との対談で、次のようにラジカルな公務員制度改革を主張しています。

「明治維新の出発は版籍奉還、武士の身分をなくしたことです。今も、まずやるべきは公務員改革、官僚を身分から能力と意欲で選ぶ職業にすることです。」
 週刊現代 永田町ディープスロート「特大号スペシャル この国の宿痾を語ろう 堺屋太一×古賀茂明「官僚というもの」 マスコミをたぶらかし、国民をだます」 2011年12月06日(火) http://gendai.ismedia.jp/articles/-/16964?page=4


おそらく幹部の民間からの登用、人材交流、国家試験の改革などが挙げられるのでしょうか、古賀氏の苦労などをみると、その実効性はかなり怪しいものがあります。

苫米地英人氏は、今の政治的官僚の相当数を政治家の政策秘書にするべきだと主張してましたね。僕自身は割合いい発想だと思うのですが。官僚が密室で利害調整するのは終わりにして、ガラス張りで政治家が利害調整すればいいと思います。えいやっとやればそんなに時間はかからないと思うのですが。高橋洋一さんがやっているようなコンサルティングがもっと厚みがでてくれば現実味が増すと思います。このごろの、民主党の惰性政権と、自民党の低空飛行をみていると次の選挙は、みんなの党に勝ってもらって渡辺喜美さんに大いに公務員制度改革やってもらいたくなるね。

Saturday, January 7, 2012

東洋大柏原くんの魂の走り

今回は遅ればせながら、箱根駅伝について。今年も一年の始まりに箱根駅伝で東洋大の柏原くんの魂の走りに元気をもらった。
今年は柏原くんだけではなく、東洋大はチームとして圧倒的な強さを見せた。2位とのリードを92秒つけ、大会記録を815秒縮めるなど、後年研究の対象となるレベルの強さであった。酒井監督の貧血対策(足の底の血管がつぶされておこる溶血性のものを含む)など細やかな食生活指導、脱柏原志向による底上げ・競争意識醸成など興味深い取り組みが行われていたようである。しかし、やはり強さの中心は柏原くんであり、最も感動的だったのも彼の走りであった。


柏原くんの魅力
柏原くんのファンになったのは、彼が一年生だった3年前の2009年である。当時書いた感想をここに抜粋する。
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20090113
今年のニューイヤーと箱根は面白かったですね!
東洋大の柏原くんはマジ大好きになった。
彼のコメントへの感想。

「前半は落ち着いて走れ」との佐藤尚監督代行の指示を無視。「5分差がなんだ。奇跡を起こしてやる」
普通の人は「奇跡は起きるもの」と考える。しかし、奇跡を起こした人は、みな自分が奇跡を起こせると信じている。だから、奇跡を起こしたいなら、まず奇跡を起こせると自分で信じられるかどうかが一つの壁なのではないか。これは日本人的考え方かも。

「箱根の景色も楽しかったし、応援がうれしくて最初の1キロで泣きそうになった」
走ることへの感謝。これが勝負でさえ一番大事なんじゃないかなと思う。
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記録に関しても、毎年山登りの五区で伝説を作っているが、なによりもその人間としてのありかたが人の心を打つのではないか。
一年生時に不可能と思われた往路での大逆転劇を演じ、「奇跡を起こしてやるんだ」の一心でそれを実現させた。私はそこから、次のことを教えてもらった。ごくたまに奇跡は起こる。しかし、奇跡を起こした人は、必ず奇跡が起こせることを本気で信じている。少なくとも、奇跡はそれを信じているものだけが起こす可能性を持つ。

1年生でおこした奇跡的な走りは、2年目にも区間新記録の走りでの逆転優勝を再現し、再び奇跡を起こした。しかし、3年目の昨年の柏原くんは、箱根まで大スランプに陥っていた。周囲の期待の大きさをプレッシャーに感じて、気持ちが空回りしたのか、もしくはバーンアウトになりかけたのか、理由はよくわからない。ただ、チームの練習にもついていけなくなるほどパフォーマンスが明らかに落ちたようである。それでも、最後には持ちなおして区間賞を再度取り、三度往路優勝に貢献したのである。
このような、毎年の成長がまた泣かせるのである。


仲間と福島に捧げた最後の箱根
今年は、彼の出身である福島が震災と原発事故で大変な苦難に陥り、彼は東北全体の期待を背負って走ることになった。しかし、昨年の成長が柏原くんをさらに逞しくさせた。エースからチームをしょってたつキャプテンへと成長したのだ。普通なら、力みすぎて本来の力を出せないことも十分考えられたが、最後の箱根をこれまで以上の魂の、東北魂の走りを我々に見せてくれた。記録は、2年次に出した自信の区間記録をさらに29秒も上回る1時間1638秒。凄い記録だけど、今年は出すべくして出したという感じだった。

往路優勝後のインタビューでの柏原くんのコメントをここに紹介する。
「仲間がトップでつないで来てくれると信じていましたが、本当にトップできてくれて、走る前に涙が出そうになりました。」
福島の方々からの応援もあったが?
「僕が苦しいのはたった一時間ちょっとなので。(震災でずっと苦しんでいる)福島の方々に比べたら、全然きつくなかったです。」

柏原くんの魂の走りは、きっと福島にビンビンに届いたと思います。それどころか、日本全体を勇気付ける走りでした。「日本はまだ終わりじゃない。俺たちはまだやれるんだ。仲間と一緒に頑張れるんだ」―走りでそれが伝わってきて、泣けました。
そして、あれだけの走りをして、こう言ってのける。これは道徳の教科書にのってもいいぐらいの名言だと思います。柏原くんの走りは、自分はまだ観たことがないが、昭和の「おしん」的な日本の良さを体現しているようにも感じます。


陸上競技の魅力
私は中学で陸上部に入り、中長距離をやっていたこともあり、陸上には少しばかり思い入れがある。その経験からすると、陸上競技というものにラッキーということはほとんどない。程度の差こそあれ、チームスポーツ、特に球技は不確実性があり、実力以上の良い結果が出てしまうことが結構ある。しかし、基本的に陸上は自分との戦いであり、そのような結果オーライということはまずない。練習も普段の自力をつける段階と、事前の調整というピークをいかに本番に持ってくるかという面で違いがあり、ただ多く練習すればよいといった単純なものでもない。ただし、事前の準備が最も直接的に結果にあらわれるということが個人競技である陸上の特徴である。言い訳はできない。そこに、陸上の楽しさと苦しさの両方がある。

ある意味で、駅伝やマラソンは退屈なスポーツの代表である。派手さは全くない。しかし、村上春樹が「海辺のカフカ」で次のように書いている。

“この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。” (文庫版p.235

駅伝を代表とする陸上競技にはどこか人を飽きさせない魅力がある。陸上競技のスポーツにおける位置は、芸術における純文学のそれや、科学における数学のそれのようなものである。最も根源的な何かである。自分は才能がなく、違う道を生業としているが、陸上競技から得たものは私の基礎をなしているし、陸上の第一線で活躍する選手への憧れは今も変わらない。


ガラパゴス化する日本の(男子)陸上長距離界
最後に、日本の陸上界への注文を少し。柏原くんは伝説になった。視聴率も取れる走りだから、テレビ局としては最高の材料だったことだろう。そして、大学にとって最高の宣伝になっただろう。しかし、柏原くんの伝説には山登り5区の2006年の区間距離の変更(20.9km→23.4km)が密接に関係している。表向きにはマラソンにつながる持久力の育成がその理由とされるが、その真意は定かではない。個人的な邪推では、山登りできつい5区を最長距離にして、逆転劇が生まれやすいように主催者側が変更したのではと思っている。それもあってか、柏原くんが2度目の逆転往路優勝をさらった2010年あたりからは、5区の区間距離の見直し案も見られるようになった。また、スピード重視の世界の潮流と逆行する点に疑問を示す意見もある(日刊スポーツ201213日)。

その原因は、実業団の駅伝重視と同じ構図だと思う。これについては、為末大氏のブログ記事に詳しい。氏いわく、実業団では、箱根駅伝の前日に行われる元日の全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝:私の地元を走る)に代表されるように、企業の宣伝になる国内を重視し、日の丸をつけて走るオリンピックや世界陸上でのマラソンなどの国際大会を軽視する傾向がみられる。もちろん、これは制度がそうなっているという意味で、選手が力を抜いているわけではない。

企業や大学の宣伝、テレビの視聴率はいいけど、競技者自身の夢や、それを支えるファンの夢はないがしろにされていないか。5区の区間距離の変更が本当に日本の陸上長距離界が世界で戦える実力をつける場になりきれているのかはよく考えなければならない。
今年は打倒東洋・打倒柏原で、各大学苦心していた。今年は、柏原くんの影に隠れているが、往路の早大と明大の2位争いも非常にレベルの高いものだった。山登りを任された早大の一年生はその性格の強さから、おそらく4年間5区山登り専門で育成・起用されるだろう。彼らは、将来トラック長距離やマラソンで活躍できるのか。(男子)陸上長距離界もガラパゴス化していないか。甲子園を沸かせたダルビッシュがプロ野球を沸かせ、さらにメジャーリーグを沸かせようとしている。(男子)陸上長距離界でも、箱根で活躍した選手がより多く世界に羽ばたけるようになるといいだろう。さしあたっては、既に本人が公言しているように、柏原くんが富士通に行ってからは、駅伝だけでなくマラソンで世界を制してほしい。応援しています。