Wednesday, July 21, 2010

[Review]アダムスミス-『道徳感情論』と『国富論』の世界

「アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界」 (中公新書)、堂目 卓生、2008
★★★★★

「神の見えざる手」で有名な経済学の父とされるアダム・スミス(1723~1790)。彼が「国富論」(1776)に書いたことは以下のように解釈されてきた。

これまで「見えざる手」は、利己心にもとづいた個人の利益追求行動を社会全体の経済的利益につなげるメカニズム、すなわち市場の価格調整メカニズムとして理解されてきた。そして、(中略)、政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって、高い成長率を実現し、豊かで強い国を作るべきだということだと考えられてきた。
(はじめに、iページ)

しかし、著者は、本書でスミスが発表したもう一つの著書「道徳感情論」(1759)を手がかりに、スミスがどのような思考過程によってそのような説を主張するに至ったのかを丁寧に明らかにする。それによれば、スミスは個人の幸福に関する錯覚(個人の幸福は、所得がある一定レベルを超えればそれ以上大きく変わることはないにもかかわらず、それ以上の富を得ようとする幻覚)は、道徳的に感心はしないが、社会全体としては、それが意図せず貧困層の雇用などを生み出し、国の富の増大につながると考えた。その過程は、「国富論」で分業、資本蓄積といったおなじみの概念として解説されている。しかし、それには前提条件があった。すなわち、個人の利益追求行動が市場の価格調整メカニズムを通じて社会全体の経済的利益につながるためには、フェアプレイの精神が市場を支配していなければならないということだ。フェアプレイの精神とは、(スミスの時代に蔓延していた、政府や一部の特権商人による重商主義によってしばしば起こっていた)価格の不当なつり上げ・つり下げをする結託がないことや資本・労働・土地のサービスが部門間を自由に移動出来ることなどを保証する個々人の自己規制の道徳的精神である(もしくはそれにもとづく市場の制度)。

市場原理主義的な主張の思想的よりどころとなるスミスの「見えざる手」ついて、一時文献を丁寧にたどってその前提条件に関する大いなる誤解を明らかにしたことは、華やかさはないにしてもその価値ははかりしれないものがあると思う。ましてや、この本ができるまでの一連の議論が、アメリカのサブプライムローンなどに代表される金によって金をかせぐだけの異常なバブルがリーマンショックなどを経て2008年後半に破綻したのよりも前に着実に進められて、これよりも前に本書が出版されていたということは、ただ驚くばかりで、著者らの先見の明には脱帽である。

この本を読んで私のスミスに関するイメージはかなり変化した。どうやらスミスは、人間の虚栄といった弱さを認めつつも、それが社会全体の利益につながるためにはどのような政策が必要なのかを考えたように、徹底的なリアリストであることがわかった。このような姿勢が、個々人が道徳的にどうあるべきかといったやや不毛な議論から逃れて、のちの科学的・体系的な経済学の議論につながっていったのだと思う。
唯一、スミスが貧困層の独立心は資本家からの仕事によって育まれるために所得再分配政策を明確に指示しなかった(p.185)との部分には(スミスに)私は同意しないが、このようなマクロ経済学の議論が発展した時代にもスミスが生きていたらどのような回答をしたか知りたいと思う。

とにかくおススメの一冊。

Saturday, July 17, 2010

[Review]限りなく透明に近いブルー

「限りなく透明に近いブルー」、村上龍
★★★★☆

友達から借りてさっと読んだ。村上龍作品は初めて。
1978年と30年以上も前の小説だが、色あせた感じはしなかった。物語全体として何か目的を持って描かれたとは思えないが、その過激な表現は何やら魅力的であった。蛾つぶすところの描写など。
20歳のころの体験にもとづいているというので、村上龍の若かりし頃の勢いを否が応でも感じた。今は、ふつうの怖いオッサンに見えるが。他の作品も読みたいとまでは思わなかった。