Thursday, September 24, 2009

Hello & Goodbye

Today, my friend in lab left to London for her master's degree.
She is so cheerful that many people like to hang around with her. I have respect for her because she have never forgot to smile even in the toughest time for the preparation of the dissertation. I miss her a lot. However, as I aim for going to UK university for my master course, I hope to see her again in Britain next year.

On the other hand, two newcomers showed up to my lab. One is from Malaysia and I am taking care of him as a tutor mainly for language problem. Today, we had dinner together and had a lot of conversations.I got really good chance to brush up my English before I take GRE or TOEFL next time. Hope that he will spend great time in Japan.

Monday, September 21, 2009

「善の研究」を読む

みなさま、シルバーウィークいかがすごしでしょうか。
私は引きこもって本を読んでます。
わざわざ混む時期にどこか行こうと言う気にならないよね。学生のうちは。

まとまった時間があるときにはまとまった時間がないと読めない本を読みたくなるわね。
2年くらい前に買って放置してあった西田幾多郎の「善の研究」をついに読みました。

昔は哲学なんぞ何の役に立つのかと思っていました。学部で橋爪大三郎先生の宗教社会学にはまり思想一般にも興味が沸いたのですが、最近は学部の卒業を控えて自分の進路を現実に考えることが多くなり、自分は人生で何をなすべきなのかということをよく考えています。
もともとが哲学なんぞに興味がなかったものですから、哲学書を読むにしても私の興味のあるのは一般的なことではなくて、いわゆる「実存主義的」な(自分はどのように生きていけばよいのかを考える)問題が中心です。

これまでニーチェなどは少し読みましたが、今回読んだ西田の本などは、数少ない日本人が書いた哲学書なので、世界史・西洋哲学の背景知識などがあまりなくても、そして翻訳を経ていないと言う意味でも、言葉が理解しやすかった思います。抽象的な概念の翻訳ほど難しいことはないでしょうからね。(詩や小説の韻などもそうですけど)
また、講義の資料を想定して書かれているのか系統立てて順序よく説明されているので分かりやすかったですね。もちろん実在なんかのところは一般論を緻密に書いているので難しいですが。


さて内容について少し書いておきます。
この本のメインは(そして私の興味があったのも)

何が人間の真に善なる行為なのか?

を考察することである。
西田は、人間の意志などについての詳細な分析を体系的に述べたあとに、善悪の基準として主に2つのものを挙げる。

一つは、「他律的倫理学説」であり、これは君主や神などの権威に従うことが善であるとするものであり、この説では何が善かの説明ができないのが本質であるいう。例えば、神は全知全能なので、我々が勝手に何が善だとかいうことは判断できないという具合である。西田はこれを受動的であって、なぜその善に従わねばならないのか納得ができないとしている。

もう一つは「自律的倫理学説」であり、これは道徳の根拠を人性(人間の性質?)に求めるものである。これには次の三つがある。

合理説(主知説)
快楽説
活動説

合理説は、理性(真理)に根拠を起き、情欲快楽に克って精神の自由を保つことが理想とする。しかし、我々は理性的動物なるが故に理に従わねばならぬという説明に対して、西田はこういった論理的判断と意思の選択とは別物であり、理が必ずしも意思の原因とならないとしている。

快楽説は苦楽の感情を基準として善を定めるもので、最終的には全て自らの快楽を最大とすることを善とする「利己的快楽説」と、功利主義のベンサムの唱えたような「最大多数の最大幸福」が最上の善とする「公衆的快楽説」がある。西田は、快楽が唯一の人性の目的だと仮定するこれらの説に疑問を呈している。

3つ目の活動説(energetism)は、その根拠を意思の活動に起き、理想(我々の内面的要求)の実現・意思の発展完成をもって真の幸福・満足を追求していくことが善だとする説である。
西田はこれを推して、その理想を「自己の発展完成」=我々の精神が種々の能力を発展し、円満なる発達を遂げ、各自その天賦を充分に発揮することとしている。

西田は、さらにこの活動説に基づいて、自身の完全なる善行について持論を展開する。
まず、善行為の動機(善の形式)については、「至誠」(自己の知を尽くし、情を尽くすこと)が不可欠とし、「主客相没」(自己の全力を尽くしきり、殆ど自己の意識がなくなり、自己が自己を意識せざるところ)に真の善行を見るとしている。

次に、善行為の目的(善の内容)については、個人性の実現を挙げ、それには強盛なる意思が必要と述べている。また、この個人主義は利己主義と異なり、社会と衝突しないという。なぜなら、人間の個人意識の中には社会的意識が大部分を占めており、自分の人格が偉大になる従って自己の要求が社会的となるからとしている。そして、この社会的善として、家族、国家、世界(人類的社会)の3つの階級を挙げている。個人的には、家族と世界についての記述がおもしろかったので書いておく。家族のレベルでは、男女の両性が相補って完全なる人格の発展ができるということ言っています。男が女に惹かれるのはそういうこともあるんですね。個人的に、女性でも特に自分にないものを持っている人に惹かれるのも分かる気がします。
また、世界については「真生の世界主義というは各国家がなくなるという意味ではない。各国家が益々強固となって各自特徴を発揮し、世界の歴史に貢献するの意味である。」と延べ、今日においては、暗に均質なグローバル化は世界の理想像ではないという風に受け取れるので興味深い。

そして結論として「完全なる善行」を次のように述べている。
「我々が内に自己を鍛錬して自己の真体に達すると共に、外自ら人類一味の愛を生じて最上の善目的に合うようになる。これを完全なる善行為というのである。」
また、その具体的内容については、以下のように書いている。
「事業の種類はその人の能力と境遇とによって定まるもので、誰にも同一の事業はできない。しかし我々はいかに事業が異なっていても、同一の精神を以て働くことは出来る。」


全体の感想としては、まず言語が思考を作るということは強く感じました。もちろん思想には実体験(感覚)が重要な役割を持つのはいうまでもありませんが、言葉にして書かれて始めて人間の内面についてのあれほど緻密な考察ができるだと思います。最近、書くというアウトプットが不足気味だったのでそれを思い出すいい機会だったかもしれません。
次に内容としては、ニーチェのツァラトゥストラに似ている部分があると思いました。(文中にニーチェは一度も出てきませんでしたが)。
ニーチェは既成の道徳などは捨てて、自らの道徳は自らで繰り返し設定し、「孤独の高み」を目指すべきだとしている。
「恒常不変の善と悪、そんなものは存在しない!
善と悪は自分自身で自分自身を繰り返し超克しなければならない。」
ツァラトゥストラ第二部「自己超克」

これは西田の述べるところの、善行為の目的、自己の発展完成(個人性の実現)と実態としてはほとんど同じだと思いますね。

西田の導き出した結論については、非常に自分のこれまで持ってきた感覚と似たものを感じました。
基本的には、人はそれぞれの能力と境遇に応じてベストを尽くすことが、個人にとっても社会にとっても理想だろうと思っていましたし、それにはその仕事なりなんなりに没頭できるほど、自分の中の迷い・疑念などをなくしていかなけらばならないということもそうです。
(善行為の目的としての個人性の実現などは、論理的な観点から言えば、例えばペドフィリアなど異常愛好者などは、個人主義で行くとは社会衝突は避けられないし、また極貧層などはベストを尽くそうにも尽くせないなど、やや不完全な気もしますが、現実的な感覚からすると非常にしっくり来ますよね。)
しかし、自分に照らしてそれを考えてみると、それには自分はその道でやっていくんだという強い意志を持ち、毎日のゆるぎない努力を継続することが必要であり、これこそが今の自分にとっての必要な部分なのだと思います。毎日ベストを尽くしている自信があるなら迷いは生まれないはずなのだから。

さて、みなさんは善とは何だと思いますか?

Friday, September 18, 2009

久し振りの更新

ブログの更新がとどこおっていました。
この2ヶ月ほどはいろいろなことがありました。

研究室のゼミ旅行、環境コンサルでのアルバイトを始めたことなどとても書ききれないですが。

最近の私は、卒論のテーマがほぼ決まり、それへの着手と
そしてイギリスの大学院の出願準備中です。(アメリカも少し考えているがGREを今から準備するのは結構キツイので難しいのではあるが)

イギリスのMaster's Courseは1年しかないので、その先の見通しを出願する前から立てておかなければならない。就職するのか、博士に行くのか。
就職するなら、どこにするのか。
いろんな業界を考えるもどこも一長一短ある。
博士に行くにしても、覚悟がいるし。
様々な考えが堂々巡りして全然前に進めている感じがしない。
進路や授業の成績などに関しての「抜け目のなさ」のなさは自他ともに認めるところですが、いざ海外の大学院に出願となると、もうちょっと抜け目なくやっておいてもよかったんじゃないかと思うしだい。まあそのへんは他でカバーするっきゃないか。

早く出願だけしてしまって、Conditional Offerがくれば足りない語学でも何でも必死でやったらいんだよ。どうにも早く近頃自分を支配している無気力感を打破しなければならない。


Life is sad
Life is a bust
All ya can do is do what you must
You do what you must do and ya do it well
-Bob Dylan "bucket of rain"

毎日コツコツと努力していくしかないのさ。