Thursday, December 30, 2010

Personal XXX of the year 2010

こんばんは。久しぶりの更新です。2010年も残すところあと1日となりました。
今年を振り返ると、特に新しいことをやったという感じはしないのだが、少し腰を据えて地に足をつけて生活した1年だった気がする。そういえば、Twitterは今年の1月から始めたのでした。断続的にハマってしまうのだけど、前の日記に書いたとおり、まとまった文章のアウトプットの機会が減るので文章力が落ちることは確か。ほどほどにしよう。来年は、就職活動と修士論文が大きな課題です。早く社会に出たいわ。

さて、個人的に恒例としているPersonal XXX of the yearの今年もいきましょう。(いつものことですが、私が今年に触れた作品が対象です)

◆ Film of the year
2010年は29本の映画を観ました。毎年だいたいこのくらいに落ち着くようです。今年は比較的当たりが多かった気がしますが、その中でもトップは…

「愛のむきだし」(2009、園子音監督)
3時間半くらいの長編映画ですが、全く見飽きることのないエンターテイメント性と、宗教と純愛をテーマにした内容の深さ。若手実力派女優の満島ひかりの演技に感動。音楽やユーモア性なども含めて園子音監督のセンスに脱帽。

次点としては、「ニンゲン合格 License to Live」(1999年)、「Beautiful Mind」(2001)、「SR サイタマノラッパー」(2009)、「Inception」(2010)、「Before Sunset」(2004)、「紀子の食卓」(2006)など。
今年ハマった監督のは、是枝裕和さん、黒沢清さん、園子音さんあたりでしょうか。来年は、石井裕也さんなど若手の実力派監督に注目。

◆ Album of the year
今年は、終盤になってたくさん音楽を聞いた気がする。
トップは断トツで、

「友達を殺してまで」by 神聖かまってちゃん、2010

今年彗星のごとく現れた「神聖かまってちゃん」。モテキのドラマで聞いたのをきっかけにハマった。やることなすことと破天荒で、歌詞もイジメとか出てきて破滅的だけど、音楽とユーモアは抜群。千葉出身で、バンプのような良い意味での引き込もり感もあって好きなタイプではある。ROCKIN'ON JAPAN 1月号で語られた「ジミヘンが今生きていたら、ギター振り回してはいないだろ」みたいなところに、ポリシーをうかがわせる。ある意味、プロレス的なエンターテイナーとしての振る舞いを自覚している。この時代に一番おもしろいことをやってやるという気概は、すさまじいものがある。音楽以外でも活躍しそうなので、注目です。

そして次点は以下2作。こちらも非常に良い。
“Them Crooked Vultures” by Them Crooked Vultures
Dave Grohlのドラム復帰のパフォーマンスは素晴らしかったが、トータルで見ると確かに劣ったか。グラミー2011ではBest Hard Rock PerformanceにNew Fangがノミネートされるにとどまった。

“Anomaly” by the HIATUS
細見武士の音楽は変わらず好き。

◆ Book of the year
今年は結構本を読みました。トップは一つに決まらないけど、
ヴィトゲンシュタイン関連本-「論理哲学論考」(野矢茂樹訳、岩波文庫、2003)、「初めての言語ゲーム」(橋爪大三郎、講談社現代新書、2009)の2冊。
初期ヴィトゲンシュタインの到達点は、論理哲学論考における「論じえないことについては、ひとは沈黙しなければならない。」の部分。つまり、論理的に証明できることには限界があり、その限界は(広義の)言語にある(ある言語を使ってその言語の外側を語ることはできない)ということである。それ以上のことを「分からせる」には、例えば小説、音楽・絵画・映画などの芸術を通すなどして、「示される」しかないということ。このようなことが、発展的に展開されたのが、後期ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの業績である。それは、次のようなことである。
「根拠を求める営みには終点がないかのようである。だが、根拠のない前提が終点になるのではない。根拠なき行動様式、それが終点なのだ。」(初めての言語ゲームp.134、全集9:35)
例えば、辞書に載っている2つの似た単語(例:abilityとcapacity)が、互いにその意味の説明にそれらを一部用いているとしよう。普通に考えたら、それじゃあ説明になってないよ、と子供心に辞書に突っ込みたくなったことを思い出すが、言語の本質とはそういうことなのである。最終的には、現実に人々が使っている文脈の総体がその意味するところなのである。それは、「示される」しかないのだ。
また、言語ゲームは単純な言語の文法の他、数学(数の計算のルール)、論理学(人間の思考のルール)、法律(人々の行為のルール)などにも当てはめることができる。そう、あんなに意味不明だった数式記号や、法律の専門用語などもその言語ゲームの中のルールなのだと割り切って考えれば、通常の言語に縛られてもっと概念理解に有効な他の言語ゲームを拒絶しないで済む。

本の次点としては、「アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界」 (中公新書、堂目 卓生、2008)と「官僚制」(マックス・ウェーバー、阿閉・脇訳、恒星社厚生閣、1987)、「日本に『民主主義』を起業する-自伝的シンクタンク論」(鈴木崇弘、第一書林、2007)などを挙げたい。公務員就職を考えて、いろいろ読み漁った1年。しかし、実際に役に立たないことばかり読んでいる気が(笑)。試験対策はこれからギアを上げて頑張る。

以上、Personal XXX of the year 2010でした。
来年は、忙しくなりそうだけど、また良い作品に出会えるといいと思います。
それでは、みなさま良いお年を!