Wednesday, September 21, 2011

原子力発電と社会主義

今回は、日本の原発と原発メーカーの今後について議論したいと思います。


明らかにされた日本の原子力発電の影


3.11以後、日本の原子力発電に関して隠されていた不都合な事実が次々に明るみにでてきている。
例えば、河野太郎議員のブログには、隠蔽されてきた過去の事故が暴露されている。
http://www.taro.org/2011/09/post-1092.php
http://www.taro.org/2011/09/post-1091.php

私は、原子力発電は日本の戦後の経済成長とって大きな役割を果たしてきたと考えている。国家政策として安定的な電力を供給し、重厚長大産業育成の基盤となった。しかし、なぜそれが実現したのかといえば、電源三法による地方へのにんじん作戦。そして、上記のような不都合な事実の官民マスコミによる隠ぺいであった。

国際的にいわゆる先進国での原発の新規増設の実績は、低迷している。まず、自由市場が進んだ国では、そもそも投資家がリスクが高すぎて投資しない。経済的にペイしないのである。電力が自由化された国であれば、太陽光や風力などの自然エネルギーによる発電の方が、はるかに短期的に確実な投資回収を期待できる。しかし、原発メーカーはその国にとって非常に大きな影響力をもっているので、政府の補助金や事故の補償をとりつけて新規立地の計画をする。それでも、最後の実際に建設の承認を地元住民から取り付けることが現実的には相当難しい。原発は確かに安定的に電量を供給できるが、誰も近所に建ってほしいとは思わないのである(NIMBY問題)。民主主義が末端にまで浸透し、不都合な情報が成熟したジャーナリズムや市民社会によって共有されれば、なおさら承認を強行突破することが難しい。

これからの日本での原子力政策はどうあるべきなのか。一番意味がないのは、時間軸や空間軸を無私した脱原発か推進かの神学論争。ようやく毎日新聞が、時間軸も含めた世論調査を行って、段階的な原発削減志向を60%以上の人が持ってることが明らかになった。菅元総理の「原発に依存しない社会」や経済同友会の「縮原発」などの表現は、国民の感情をよく捉えていたと思う。経済合理性に関する議論はいろいろあるけれども、現実的に原発の新規増設が今後日本で実現することはほとんど考えられない。いくら産業界がまだ日本に原発は必要だといったところで、あれほどの事故が起きてしまったあとでは、新型の事故のリスクが低い原発であったとしても、国民感情が許さないだろう。少なくとも、原発維持勢力が意図的に再生可能エネルギーの成長を阻止してきた、全くの愚行は改めねばならない。


社会主義者の原発擁護論


さて、よく考えてみると、原発の立地が(特に最近)実現しているのは社会主義的な国に多いことに気づく。フランスはその典型である。今回のフクシマの事故に関する社会主義者の代表的な意見は次のようである。つまり、今回の事故は民間企業である東京電力の利益追求の姿勢が、福島の原発の津波対策への投資をけちってこんなことになったのだと。(日本の共産党に近い人々がそうであるように)多くの社会主義者は、反射的に反原発を主張しているが、それは原発への根拠のない恐れと、自然エネルギーがすぐに原発を代替えできるという幻想に基づく。真の社会主義者は、原発の事故がおこす負の面に比べて、(原発を止めて石炭火力などが増えることによる)気候変動がもたらす破滅的な害悪と不公正の大きさを考慮すべきだと。また、開発途上国が成長のために必要とする低炭素なエネルギー供給源を奪うべきではないと。
http://climateandcapitalism.com/?p=4707
これはこれで納得できる主張である。ソ連崩壊後、社会主義がもつ悪い面ばかりが表にでているが、一党独裁はリーダーが優れている限りは良い面もあるのだ。気候変動対策などは良い例である。中国は、国際交渉を妨げて大顰蹙を買っているが、一方で大胆な環境規制でドラスティックに省エネ・低炭素化を独自に進めている。民主主義の国では、既得権益保持勢力のロビイングによって規制が骨抜きにされるといった「民主主義の代償」が存在してる。しかし、社会主義国では意思決定のスピードと規制の執行能力が全く違う。中央の理想の追求を、末端まで押し切れるのである。


転換期にある「日本型社会主義」

では日本はどうか。私は政治学者ではないので、何が社会主義・共産主義だとかいうことを正確に理解しているわけではないので、厳密なところはご容赦願いたいが、日本もかつて「日本型社会主義」といわれたように、ある面で社会主義的側面があった。おそらくそれは、官僚主導の中央集権的な国家運営を指していたのだと思う。

その意味で、3.11の原発事故は、日本の民主主義にとって重大な転換点となることは明らかなように思う。エネルギーは生活や地域の産業にとって死活問題なので、原発による中央へのエネルギーの依存は、中央集権の一つの象徴であったのだ。これからの日本には、過渡的にはLNG火力などが増えるにしても、再生可能エネルギーなどの地方分散型のエネルギーが広まることは最も現実味のあるシナリオである。


日本の原発企業の未来?

それでは、日本の原発メーカーはすぐにでも原発事業から撤退すべきなのだろうか。私は、まだ日本の技術者が果たすべき役割はあると考える。それは、日本国内ではなく途上国を中心とする海外である。原子力発電は、10年~20年程度の間は世界のエネルギー供給においてまだまだ重要だと思う。核廃棄物処理や最終処分の問題があるが、気候変動の対策がなかなか進まない現状と、バイオエネルギーの食料との競合などをみると原子力、特に新型の小型原子力発電はまだ人類にとって捨てるべきでない選択肢であるように思う。ポイントは、社会主義国と開発途上国。社会主義国では、最後の水際で原発建設を押し切れる。もちろんフクシマを含めた安全管理における教訓は徹底的に活かすべきことは言うまでもないが。そして、途上国では原発のリスクよりも安定的な電力供給による便益のほうが勝る。したがって、両方を兼ね備える中国やベトナムなどはどんどん新規立地が実現するだろう。ここに、日本のメーカーが入り込む余地がある。ただし、それに日本政府がインフラ輸出だといって、あまりに高いリスクを背負うなど首を突っ込みすぎると、いざ事故がおこったときに日本の国民に莫大な負担を強いることになる。ヨルダンの原子力協定の議論などは良い例だ。是々非々の対応がよいのではないでしょうか。

とにかく、日本のメーカーは国の威信をかけて再生可能エネ技術の巻き返しを図ってほしいよね。レスターブラウンが主張するように地熱はもっと日本が頑張るべき分野だろう。3.11はあらゆる面で日本のターニングポイントになるというか、しないと日本の未来はない。

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