Tuesday, July 14, 2009

村上春樹を読む

英語だけ書いていると欲求不満になるので、たまには日本語で書きます。
最近、村上春樹の「ノルウェーの森」を読んでいます。村上春樹を読むのはこれが初めてで、小説を読むのですら半年ぶりくらいでしょうか。

まだ上巻の半分くらいですが、すでにそのおもしろさに圧倒されています。
どう形容したらいいのかわかりませんが、圧倒的に言葉が簡潔かつ正確ですよね。
そして例えがうまい。常に冷静な文体で会話にさえ「!」が出てこない。これは、主人公とその他登場人物が、ひいては村上春樹がおそろしいまでに落ち着いていて、冷静で、客観的に自分や物事を捉えているからなのだと思います。
本を読んだいるだけで、普段の心の持ち方に変化をもたらすような気がする作家ですね。


村上春樹の文体に影響を受けてちょっと最近考えていることを書いてみます。

どうも僕は昔から、志は高ければ高い方がいい、志を持たずになんとなく生きているの周りのやつをみると絶対に俺はこんなやつらのようにはなりたくないというふうに思っていた。それは、努力を促すのだけれど、とかく目標を高く設定しがちで、たくさんの時間をかけてでも納得する出来のものしか許さないという傾向があった。こういったスタンスは実のところ非常に非生産的で、かつ疲れるのである。生活の時間の許す限りをある一つのことにだらだらの使っているので、全体の効率は上がっていかないし、興味のあることにはいくらでも首を突っ込んでいって、結局どれも中途半端になるという悪循環になっていた。要するに、地に足が着かずに、理想だけが一人歩きして、努力は空回りして、ちっとも自分は成長していないということなのだ。もちろん、それなりに自分は成長したとは思っているけど、それはずっと同じ類の成長で、かつその成長のスピード衰えているような感じなのだ。

ところが、ここ最近は心の持ちようにすごく大きな変化があったように思う。村上春樹の本もかなり影響していると思うが、とにかく自分を等身大に捉えられるようになった(と思う)。これは、常に背伸びすることがいいことだと思っていた自分にはすごい変化なのである。もちろん、志は今でもできるだけ高いものを維持したいとは思うが、目標は適度でなくてはならないことに気づいたのである。それが、自分を着実に成長させられる唯一の方法だという確信があるから。イチローは「大きな目的は、小さなことを積み重ねていくことのみで達成することができる」と言うが、その本当の意味に最近分かったような気がする。したがって、今では一番初めの目標はとにかく低くていいと思っている。今週は1日は9時までに研究室に行こうとか、そのくらいでいいと思っている。
そして、自分を等身大に捉える事は、ありあまるような余裕を精神にもたらす。以前までは苦手だったけれども、今では女の子と二人で話しをしても普通にずっと会話できるような気がする。もちろん、もっと正確に、おもしろく自分の感情や考えを表現する語彙が必要だが、本質的には心の持ちようだと思うのだ。

おそらくこの心境の変化は、研究室への所属などの環境の変化も大きく影響をしていると思う。それぞれが違うものを持っているのでいろんな刺激をもらっている。ある人は、いつも余裕があって、絶対にあわてたりしない。ある人は、すごくきちんと課題をコツコツやって着実に専門を身につけていっている。僕も自分でもなんだが、いい影響をみんなに与えていると思う。それは、サッカー日本代表の本田圭祐が、強引に左足でシュートを放つようなゴールへの貪欲さについて、「だって他の日本人ってそういうのいないでしょ」みたいに言うことと同じ類のものだ。草食系男子が蔓延り、内向き志向が充満する今の日本で、俺みたいなやつの存在価値は十分に分かっている。将来の志もずっと変えるつもりはないが、もっと等身大の自分で着実に成長していくことが大事なのだ。それが今自分が考えていることである。

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