Tuesday, September 6, 2011

Nepal Visit

また前回の投稿から間が空いてしまった。8月中は2週間ほどネパールに行っていました。大学の基金のプログラムで飛行機代を出してもらって、かなり自由に動いてました。
主目的は、国際開発サークルIDAのプロジェクトのシステム試作品のネパールチームへの引き継ぎと、導入予定の村の視察。詳しくはこちらを参照。
一方で、ネパールのバイオエネルギー普及に関する研究の手伝いもしていました。そちらについては、こちらを参照。
世銀やマイクロファイナンス機関の方、内定しているコンサルの社員の方などとも会う機会を持て、学生最後の夏にのびのびと充実した経験をすることができました。


昨今、フェイスブックといったSNSが氾濫しているいるけれど、やっぱりものごとを前に進めるためには、直接の人的交流が不可欠だということを痛感した2週間でした。SNSは、きっかけや関係の継続には便利だけど、人を動かすにはやっぱり会わないとね。。。

向こうでは、主にIDAのネパールのメンバーの家にホームステイさせていただき、ネパールと日本の料理を交換に作るなどメンバーのご家族とも交流してました。貿易商であり、国際交流にも熱心なお父様からは、ネパールの状況について様々な話をきかせていただきました。特に、国内の不安定な政治状況について、悲痛なまでに嘆かれていたのが印象的でした。向こうでは、2002年におきた国王一家虐殺事件あたりから、国王統治の人気が落ち、数年前にマオイストがその受け皿になって選挙で大勝しました。しかし、このマオイストが全く厄介な政党で、まったく政策策定能力がないのに、選挙で勝ってしまったものだから、やることといえばストライキくらい。それでもう議会と内閣は全く機能せずに、もう3回も憲法制定の期限を延ばしているのに、草案すら作成できていいない状況。こんな不安定な政治状況では、投資があつまるはずもなく仕事はない。それゆえ、インドや湾岸諸国に大量の出稼ぎ労働者がいて、国の4分の一ほどのGDPが外貨送金によってまかなわれているというほど。状況は、突然悪くはならないけど、いろいろなところで悪循環が起きていて、日に日に状況が悪くなっている感じ。とても、国の将来の希望を見出しづらい。

このような状況だからなのか、一見おとなしそうな人も含めてハードロックやメタルが好きな人が多い。ゲバラやボブ・マーリーはいうまでもないが。ホームステイ先の娘さんの8歳くらいの華奢な男の子は、メタリカと米プロレスとレアルマドリードが好きなようだった。やはり、状況打破、破壊願望をみんな強く持ってるのだろう。
最後の日には、彼の部屋からGreen Dayの21 Gunsをくりかえし口ずさんでいたのが印象的だった。



One, 21 guns
Lay down your arms
Give up the fight
One, 21 guns
Throw up your arms into the sky
You and I

ひとまず今回のネパールでお世話になった方々に感謝。10月に入れば、授業と研究で日を追うごとに忙しくなるので、やりたいことをやるなら今月中が勝負。といっても、論文などやるべきことはたくさんたまっているのだけど。とりあえず今正月に小学校の同窓会などを企画している。学生時代にやり残したことを一つづつ締めくくるのだ!


Sunday, July 24, 2011

The Ultimate Goal of Education

After finishing my job hunting activities in June finally, I am now preparing for mid-term poster presentation of my masters course and research visit in Vietnam at the end of September. Along side the research, I am continuously meeting old friends and dedicate most of personal time to IDA, university club. I have been tired of noises in twitter recently and trying to get back my chance to write more daily essays.

Today, I would like to write about the purpose of education― What is the ultimate goal of teaching?

Good Academic Score?
The simplest answer to the question would be to make students get higher academic scores in each subjects. This view I think is dominant in Japan and other Asian countries such as Singapore and Taiwan where the Confucian culture is common. According to the view, the higher scores a student get, the more successful he/she can be in future. This is true in Japan; If a student can get good score, they can pass national exam such as public servants and have better chance to enter popular firms. There exist two problems, however, behind the view.

First, higher academic score does not always leads to higher performance in their current job. In Japan, much of the assessment of the classes are still written exams and do not capture the overall progress of their true abilities. As a society, this makes labor market ineffective. Thus we need to adjust our way of assessment according to the needs of society. For example, assessment of group work, as is often the case in western university, are better way to incorporate the ability in team settings.

Second, students may stop studying after the graduation. Quite a few university students do not study much in Japan. Passing fierce competition in entrance exams, all they do is part-time job and play around. Also, lifetime employment in national bureaucrats and big companies in Japan has produce lazy employees (though the tendency is changing rapidly due to dynamic change in market structure).

For these reasons, I do not think the education putting much emphasis on academic score is the most effective one. So, what would be the alternative?


Nurturing the Motivation!
In my opinion, the purpose of education is to let students love the subject. I believe it is important because once students liked the subject, they will study by themselves even after they graduate from their school. For my case, I loved studying geography and chemistry thanks to the teachers who gave me intriguing classes with full of trivial tips. It might be historical background, the struggle of early scientist and inventors and the linkage to the society today. Anyway, I owe much to the teachers that I am today.

In fact, OECD's PISA* added a criteria "engaging with written texts" in reading section of 2009 survey. It reflects some need for assessing the motivation aspects of the students.


Thank you for reading and tell me your opinion about the purpose of teaching!


*PISA=Programme for International Student Assessment
http://www.youtube.com/watch?v=Ugz_1Clpsdk

Sunday, April 10, 2011

何度も聴きたくなる音楽の条件

Foo Fightersの新作『Wasting Light』の日本版リリースが4/20に迫ってきているが、今月のrokin'onでメンバーのインタビューを読んでますます楽しみになった。まあ、もうここで全曲視聴できるので、すごく良いのは承知だけど。



今回のアルバムの最大の特徴は、ある意味時代に逆行して、デイヴのガレージでのアナログレコーディングを採用しているということ。そして、それが大成功していると感じる。以下、インタビューの関連部分の抜粋(一部省略)。

デイヴ「このアルバムは毎日のようによく聴いてて、そんなアルバムは久しぶりなんだけど、俺たちらしいサウンドだから好きなんだと思う。」

テイラー「俺もこのアルバムを聴くのが好きなんだけど、多分その理由の一つは、人間味があるからだと思う。今時のアルバムって完璧に作り込みすぎてるから三次元的な面がなくて平坦で、ヴォーカルの音程もドラムやベースのタイミングも完璧で、一度か二度聴いたらもう聴く部分がないんだ。でも。昔の音楽を聴くと『スターウォーズ』のサントラとかなんでもいいけどさ、聴くたびにちょっとした不完全を発見する。ちょっとした人間味がそこにある。これは、俺の持論だけど、そういう人間性がある音楽こそ何度も聴きたくなるものだと思うんだ」

デイヴ「アーケイド・ファイアがグラミー賞の最優秀アルバムを受賞したのは、素晴らしいことだよな。レコード業界の人たちが“人間らしい音”がしない音楽に飽き飽きしていることの表れに思える。彼らの音楽があれだけ公に賞賛されたっていうのは、一大事だよ。巨大な勝利だと思う。バンドたちにとってのね。」


もう、4.White Limoなんてガラージ感抜群で何度聴いても飽きないよね。それはぶん、ラウドであってもメロディーが卓越しているというFoo Fightersの特徴(デイヴはクラシックギターも大好きで、アコースティックの作品も出している)もあるけれど、やはり無意識のうちに質感としてあらわれている微妙な不完全さ―人間味―なのだと思う。これは、なぜいまだに多くの人が昔のアナログのレコードの音に愛着を感じるのかということとも通じる。また、音楽に限らず、スタジオ・ジブリがかたくなに手書きのキャラにこだわり、そして世界中でファンを獲得し続けているのかということとも通じると思う。私自身も、クレヨンしんちゃんやドラえもんなどの長寿アニメに関して、最近のCGっぽくきれいになったやつよりも昔のような手書き感のある絵の方が好きだし。

デジタルはデジタルで独特の質感があって、それを積極的に採用するのも一つの手法だけど、単に商業的な理由で最新機器を使っててっとり早く完成度の高い作品を作っても、それが長く愛される作品となるかは甚だ疑問だ。いかに技術が発達しようとも、芸術に関しては「不完全さの残った人間性」から人間は逃れられないのかもしれない。

Wednesday, March 16, 2011

Hospital Days

この2週間は、いろいろなことがあって、もういい加減にしてくれという感じでした。世間的には、東北地方太平洋沖地震と津波と原発事故でもちきりですが、それについては次回の投稿に回すことにします。実は、自分自身は今月の4日にスキーで左腕を骨折して昨日まで地元の病院に入院していました。簡易ながら、人生初の全身麻酔の手術と入院生活を経験しました。

怪我をした日は、3月にしてはかなり吹雪いていて視界が悪い状況でした。それに加え、初心者で久しぶりのスキーなのに勢いで山頂の方まで登っていってしまいました。それで、スピードが出すぎて前に倒れ込みながら左腕をストックと一緒に巻き込んで、やってしまいました。今まで骨を折ったことはなかったのですが、手は動いても肩から下が垂れ下がった感じで動かせず痛みもあり、すぐに折れたのがわかりました。何年か前の田中達也の骨折のシーンを思い出しました。それから、レスキュー車に乗って医務室で応急処置をしてその日のうちに群馬の実家に戻り、翌朝地元の病院へ。9日から入院し、10日にボルトで骨を固定する手術をしました。

翌日の11日午後に、例の地震があり病院でも震度6弱の揺れでした。私のいた整形外科の病棟は、一番新しく、物も紙一重で落ちない程度で済みました。しかし、手術室ではいくつか天井のパネルが落ちたという話も聞き、前日の同時刻に手術をうけていた私は、一日ずれていたらと思うと少しぞっとしました。

術後の経過は良好で、リハビリは数ヶ月かかるものの、昨日無事退院することができ今実家に戻ってこのブログを書いています。怪我をしてから思い出したのですが、今年は厄年で、ちゃんと厄除けまでしたのに不幸が振りかかるところは厄年なる所以でしょう。おそらく、厄除けしたところでそれに安心してしまって、結局人生における厄年の持つ運命は変えられないなのかなあと思います。怪我をしたこと自体は不運で、いろいろ他人に面倒見てもらわないといけなくなり、生産性もガタ落ちなのはまあそうです。ですが、作今のニュージーランドや日本の地震で、命を落としたり、命は助かっても足を切断しなければならなかった方の記事を読んだり、また怪我する前日にDAYS JAPANのイベントで地雷で手足をふっとばされた方の写真を見たりして、五体満足でいられることの意味が今までと比べられないほど違って感じるようになりました。また、同じ病室の他の方は3方とも脚で、一月を超える治療とリハビリに苦労されているもいました。折ったのが足でなく、しかも利き腕でなかったのは不幸中の幸いでした。


さて、ここからは入院生活の日々に感じたことを書いてみます。

・時間を埋める毎日
平時では時間をどうやりくりするかに苦労するが、入院中は時間をどう埋めるかが重要な課題となる。日中は、長いといいつつも同室の患者さんと話をしたり、三度の食事をしたりするうちに何だかんだ時間は過ぎていく。しかし、夜は勝手が違う。
まず携帯電話をいじくってみる(整形外科なので使用はほとんど黙認されている)が、自分が活動休止中なので特段動きはなくすぐに飽きる。次は、テレビをつけてみる。どれも地震ばっかりで気が滅入るので長く見る気にならない。今度は音楽を聞いてみる。普段聞いているロックは、気分をハイにするので病院で聞くには向いていない。ジャズなども最初は効果的だが、やがて飽きてくる。それならばと本を読もうとするが、いろいろ体勢を変えてみてもどれも腕を使うのでなかなか集中できない。最後はあきらめて、眼を閉じて寝ようとするが体も頭も疲れてないのでなかなか寝付けない。寝られたとしても、術後数日は痛みがあって眠りが非常に浅くなる。
こんなことを繰り返して、なんとか時間をやり過ごした。

・三者三様の同室の患者さん
病室はたいがい4名がカーテンで仕切られて一緒に滞在している。私がいたのは入って左手前の角で、私の正面には同じくらいの年代のAさんがいた。Aさんは、フォークリフトで脚をはさみ、入院一月ほどで、膝・足首の曲げ伸ばしのリハビリに移行いていた。どちらかというと自分は寡黙な方だが、誰か一人周りに人当たりがよく聞き上手な人がいてくれれば、会話をはずませることに貢献できないわけではないと思っている。Aさんは、まさにそのような人で、入院中に想定していた決まりの悪さに辟易することは最後までなかった。
私の、対角の窓際にいたのは60歳くらいだがやんちゃで若々しいBさんだった。彼は、スキーで膝が反対に曲げられることによる陥没骨折で私より2週間程度早く入院していた。Bさんは、普段は設計事務所経営の建築家でその豊富な経験からいくつもの面白い話を聞かせてくれた。
一番面白かったのは、オープンキッチンについての話である。近年、キッチンとダイニングルームの間の壁をとりはらったオープンキッチンが新築では主流になっている。しかし、こうなったのは長い目で見るとごく最近のことなのだそうだ。Bさんによれば理由は2つある。1つは、戦後の多摩ニュータウンに象徴されるように、階ごとの面積の小さい家屋が増えたことにより、キッチンとダイニングルームの間の壁をとりはらうことで視界をひらき、圧迫感を和らげる需要があった。2つ目は、核家族化により、時間と経験で余裕のあるじいちゃんばあちゃんが子供の世話することがなくなり、母が料理中も子供の面倒を見る必要が出た。そこで子供に目を配れるオープンキッチンの出番となったらしい。しかし、Bさんによればオープンキッチンには2つデメリットがあるそうだ。まず第一に、母親が常時子供に目を届かせることが習慣化し、思春期の反抗的な子どもは過剰な親の監視や干渉を感じることがあるそうだ。あるいは、母親が神経質になっていわゆるモンスターペアレント化の一因になることも考えられる。第二に、お父さん方にとってより重要な問題だが、料理の過程を人にみられることによって途中のみてくれを気にするようになり、最終的な料理の味がまずくなりうるということだ。もちろん、共働きの増加で料理の過程も家族の団欒の一部とする新しいスタイルに合うなどポジティブな面もあり、一概に悪いとはいえないだろう。しかし、家の空間においても現代の過程の諸問題が映しだされていることの一例を教えてもらい、設計の奥の深さに気づいたのであった。
さて、話がそれたが、3人目のCさんは、ちょっととっつきにくい肉体労働系の中年の方であった。「なっから」「うんとこさあと」「よいじゃあねえ」「けえる」などの純群馬弁がよどみなく出てくるのは聞いていて何だか落ち着いた。Cさんいわく、太田市のあたりが日本で一番けんかっぽいしゃべり方らしい。

・入院の影響
酒とたばこが(少なくとも現段階で)ほしくなくなった。規則正しくなった。きっちり8時、12時、18時に三度の飯がほしくなった。夜10時でも寝られるようになった。昔からやや頑張りすぎる傾向があるが、無理をしなくなった。治療は焦らないことが大事。急がば回れ。ゆっくり急げ。整形外科ではちゃんと食べられる割に動けないので、筋肉がそのまま肉になった(笑)。こんなところ。

・中学の同級生と再会
入院して2日目の手術当日の担当になった看護師さんがなんと中学の同級生のS君で、そんなに当時仲良くしてたわけではないけど向こうは覚えてくれていて、不安が少し和らいだとさ。


来週から段階的に研究と就活などを再開させますが、生活の便を考えてしばらくは実家からの通勤となりそう。よく考えてみると、こんなに長く実家にとどまるのも大学に入ってから初めてのことです。しばし、家族との時間を楽しもうと思います。あ、もし私に会う機会がある人がもしいれば、小魚を与えみてください。良質のカルシウムは、非常に喜ばれるでしょう(笑)


<蛇足>怪我してから鑑賞した作品のレビュー
・映画
「川の底からこんにちは」、今井裕也監督、2010、★★★★★、今井監督のユーモアセンスと満島ひかりの魂の演技に感動。
「悪人」、李相日監督、2010、★★★★☆、「殺したやつだけが悪人なのか?」を描き出す素晴らしいプロットだった。
「Love Actually」、Richard Curtis、2003、★★★☆☆、妹が借りてきたやつ。思ったよりは楽しめた。
「P.S. I Love You」、 ★★★★☆、妹が借りてきたやつ2。Gerald Butlerの恋愛ものは連続して予想外によかった。納得のラスト。
・小説
「グレート・ギャツビー」、スコット・フィッツジェラルド、1921(村上春樹訳、中央公論新社)、★★★★★、村上春樹の訳書は初めて。読み進めるうちに、描写の繊細さに吸い込まれた。村上春樹特有の比喩につながる表現も見受けられた。好きな部分。
「判断を留保することは、無限に引き延ばされた希望を抱くことにほかならない。」p.10
「病んだものと健康なものとのあいだの相違に比べれば、人間一人ひとりの知性や人種の違いなんてそれほどたいしたものではない」p.225
「『僕は三十歳になった』と僕は言った。『自分に嘘をついてそれを名誉と考えるには、五歳ばかり年を取りすぎている。』」p.320

Wednesday, March 2, 2011

国は社会的損失を直視して花粉症対策をスピードアップせよ

先日の花粉症に対する以下の連続ツイートについて続きを書いてみた。
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今日完全に花粉症を発症した。全国の花粉症のみなさま、数か月耐えましょう。そして、放置杉林の間伐など抜本的対策への支持を。林業の方に聞いた花粉大量発生の原因:http://bit.ly/eVnfH0 東京都の対策http://bit.ly/giTQ2U

東京都の花粉症対策検討委員会の委員は、林業関係者が少なすぎじゃないか。http://bit.ly/hifHSk 治療で製薬会社とか儲けさせるより、発生源対策を社会でしっかりやらないと。

国も何かやってほしいよね。それくらいひどいと思う。日本の花粉症という現象は。海外にはないよ、こんな社会の効率を大規模に下げる現象は。

石原さん珍しくいいこと書いてた。http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no35.html
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<省庁の連携と予算の大胆な配分で花粉症対策のスピードアップを>
ある方からの指摘があり、花粉症は花粉と同時に大気汚染物質と合わさってひどくなることが分かった。詳しくはこちらの記事を参照。したがって、林野庁の発生源対策と同時に環境省の管轄となる大気汚染対策も重要になる。また、当然厚生労働省が応急処置としての医療的アプローチについては責務を負う。したがって日本の役所の縦割りな性質が、ここまで対策が遅れた構造的な原因となっていることは否めないだろう。
その後調べてみたら、国の各省庁も現状で一応連携して対策しているらしい。

自分が一番関心のある発生源対策としては、林野庁が「少花粉スギ等花粉症対策苗木の生産体制の整備」などに約70億円の予算で進めているようである。

しかし、花粉症の与える社会的損失の甚大さをよく考えてほしい。
日本全体の花粉症に費やされる医療費は年間約2000億円とされる。また、夜間の鼻づまりによる睡眠の質の低下による日中の眠気の増大や、くしゃみ・鼻水・目のかみゆ等による集中力の低下などによって労働生産性は1割程度低下するとされ、月に数千億円の経済的損失があるとの試算がある。

また、アトピー性皮膚炎患者も近年増加傾向にあり、花粉症と合併する重症化することが指摘されている。私はこれに当てはまるのだが、実感として毎年この時期はダブルパンチからか耐え難いストレスとなっている。(ちなみに、この合併発症は、労働生産性に追加的な悪影響があるが、勉学に関しては追加的な悪影響は認められないそうだ。)

研究や発生源対策が比較的時間のかかり、また各省庁・地方自治体との連携の必要が難しい問題であるのは理解している。しかし、毎年数千億円の社会的損失があるならば、費用対効果をよく考えてもっと大胆に予算を配分して対策のスピードアップをはかってほしい。現状の年間2000億円の医療費はGDPを押し上げるとしても、国民の利益には全然なっていなし、たとえ高度な花粉症対策医療が発達しても、それは狭い日本国内でしか需要がないので製薬会社等の長期的な成長への寄与も期待度は薄い。こんな問題を放置してはならない!

<蛇足:今年の花粉症の発症時期と長期的な花粉症問題の見通しについて>
ちなみに、今年は花粉症の発症がかなり遅かったので、私は以下の仮説を立てていた。
1.自分のスギ花粉の免疫が改善した
2.昨年の夏があまりに暑すぎてスギが花粉を作る気力さえ失った
3.12月に20度の日があるなど冬の前半はかなり暖かく、逆に冬の後半は冷え込んだため、木々が冬の終わりの判断を遅らせている。

1は他の人もあまり発症していなかったことから棄却。2は半分冗談で、3が本命かと思っていた。そうしたら驚くことに、2が正しいことが判明した↓

「昨年の夏があまりにも猛暑過ぎて、一部の花芽は熟し過ぎ、花粉を飛ばせないくらいに変形しているという調査結果でしたので、最新の報告では『過去最大』から少し下方修正されて、『過去2番目』という予測になりました」―国立病院機構の石井豊太氏

この記事によれば、今年の花粉症は4~5月にヒノキ花粉の増加によって長期化するらしい。また、考えてみれば昨夏が暑すぎただけで、今後夏期の平均気温が温暖化で上昇すると平均的な花粉の飛散量は何も対策しなければ増加していくということである。本当に国は本気になってやらないと、温暖化による飛散量の平均的な増加(とそれに伴う発症者の増加と低年齢化)に対して、対策はとても追い付かないのではないか。このあたりの長期的見通しも直視して、国は対策をスピードアップしてほしいものである。

Monday, January 31, 2011

「若者の内向き志向」再考

久しぶりのブログ更新。
最近よく「日本の若者は内向き」と聞くのだけど、どうも実感としてしっくり来ないんだよなーと思っていたところ、リクルートがタイムリーな記事を書いていた。

「若者は内向き」という誤解

要するに、日本人留学生の減少という主張は、
①留学先がアメリカ一辺倒だった時代からアジア等を含めた多用な地域に分散しており、総数では2007年まで増加している。
②留学適齢人口(18~29歳)は97年をピークに27%減少しており、この人口あたりの留学生の数ならむしろ増加している。
という2つの事実を見逃しており、全くの誤解だということ。
①に関しては、何を隠そう私もアジアのシンガポール国立大学に留学した経験があり、確かに未だに有力な留学先であることには変りないが、今更何がなんでもアメリカ留学などというのは確かにおかしいと感じる。


しかし、これらの誤解がとけたとしても日本の国際派エリート層育成という面でみると依然として悲観的にならざるを得ない。
適齢人口あたりの総留学生数が減っていないとしても総数が減っていることは事実でありエリートの層の厚さという面で他の新興アジア諸国に劣ることは事実である。

また、以下の表を見てほしい(クリックで拡大)。

出典:IIE Open Door

これは、アメリカのみへの留学生へのデータであるが興味深い示唆が得られる。留学の教育レベル(学部、大学院、ノンディグリー(含む語学研修)、職業訓練等)で見たときに、エリート層・一流の研究者としては大学院における留学が重要であるが、日本は他の新興アジア諸国に比べ大学院の比率が21.7%と低い。一方、中国、台湾、インドは軒並み大学院留学の割合が50%を超え、国際派エリート層の厚さは圧倒的である。
この日本の教育レベル別の割合は、近年アメリカへの留学生が急増しているサウジアラビアと酷似しているが、これは比較的裕福な国は経験としての留学、半分遊び感覚のそれほど真剣でない留学の割合が多いということだろう。つまり、実質的に一流の研究者として活躍している日本人は減っているのではないか。

さらに、総数でアメリカ留学者が2008/2009から2009/2010にかけて15%も減少しているのだが、適齢人口当たりでみたとしても減少傾向とえいるだろう。これは、単に若者が内向き志向だからなのではなく、おそらく近年の厳しい家計の経済状況や、リーマンショック後の企業の人材育成予算の減少などから「経済的な原因で」減っているのではないだろうか。

追記
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大学院の割合について誤解があったので訂正する。

出典:同上

日本のアメリカ留学者の経年変化を以下の表から見てみると、大学院の総数は減っているが割合はむしろ増えていた。
それよりも顕著なのは学部生の割合が減り、語学研修などのノンディグリー及び職業訓練などの「短期」留学の割合が増えていることだった。もともと、学部留学生の割合が多いのは、4年間の学費を賄える資金力があるからであって、必ずしも悪い特性ではないのかもしれない。

以上をまとめると、日本の海外留学は、適齢人口あたりでみてもアメリカでは減っており(適齢人口は10年で四分の一の減少だが留学総数は半分程度の減少)、より物価の安い地域や短期留学が増えているといった実態が垣間見える。その結果、総数の減少に加えて、腰を据えた比較的長期の留学の割合が減り、日本の国際派エリート層の質と人材の厚さはこのままでは先細りになるだろうと考えられる。
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以上の統計的な誤解の解消を踏まえた上で、日本の若者の海外留学減少の処方箋として何が考えられるだろうか。私からは以下の4点が思い当たる。

・就職活動の通年採用の増加
留学するくらいの気概と能力のある学生ならば、通年採用でとってもらえるとも考えられるが、それでも一括採用の流れに乗れないことによる不利は否めないところがある。それゆえ、通年採用を増加させ有能な人材を獲得するチャンスを増やすべきだろう。有望な留学上がりの新卒はバイトなどでキープして適性を見て、一括と一緒に正式採用するのもよいのではないか。

・少子化対策
人材の厚さという面で考えると、少子化を止めることは根本的な解決索の一つだろう。

・奨学金の充実
中国などは、一人っ子政策によって一人に教育投資を集中させて留学資金を賄っている面もあると思うので、エリート層の厚さを考えるなら優秀な学生に留学などの経験を積ませるようにもっと国は奨学金を充実させる必要もあるだろう。

・優秀な留学生の積極的受け入れ
優秀なアジア等からの留学性は、勉学姿勢や授業での質問の積極性など日本人学生に対してポジティブな効果をもたらすことは私の実感としてある。留学生との交流は、(実際自分が留学することにくらべれば遠く及ばないが)日本にいながら異文化体験をし国際感覚を磨くことができる。


以上、海外留学に着目した「若者の内向き志向」に関する再考でした。留学以外の面での考察は次回やろうと思います。

Thursday, December 30, 2010

Personal XXX of the year 2010

こんばんは。久しぶりの更新です。2010年も残すところあと1日となりました。
今年を振り返ると、特に新しいことをやったという感じはしないのだが、少し腰を据えて地に足をつけて生活した1年だった気がする。そういえば、Twitterは今年の1月から始めたのでした。断続的にハマってしまうのだけど、前の日記に書いたとおり、まとまった文章のアウトプットの機会が減るので文章力が落ちることは確か。ほどほどにしよう。来年は、就職活動と修士論文が大きな課題です。早く社会に出たいわ。

さて、個人的に恒例としているPersonal XXX of the yearの今年もいきましょう。(いつものことですが、私が今年に触れた作品が対象です)

◆ Film of the year
2010年は29本の映画を観ました。毎年だいたいこのくらいに落ち着くようです。今年は比較的当たりが多かった気がしますが、その中でもトップは…

「愛のむきだし」(2009、園子音監督)
3時間半くらいの長編映画ですが、全く見飽きることのないエンターテイメント性と、宗教と純愛をテーマにした内容の深さ。若手実力派女優の満島ひかりの演技に感動。音楽やユーモア性なども含めて園子音監督のセンスに脱帽。

次点としては、「ニンゲン合格 License to Live」(1999年)、「Beautiful Mind」(2001)、「SR サイタマノラッパー」(2009)、「Inception」(2010)、「Before Sunset」(2004)、「紀子の食卓」(2006)など。
今年ハマった監督のは、是枝裕和さん、黒沢清さん、園子音さんあたりでしょうか。来年は、石井裕也さんなど若手の実力派監督に注目。

◆ Album of the year
今年は、終盤になってたくさん音楽を聞いた気がする。
トップは断トツで、

「友達を殺してまで」by 神聖かまってちゃん、2010

今年彗星のごとく現れた「神聖かまってちゃん」。モテキのドラマで聞いたのをきっかけにハマった。やることなすことと破天荒で、歌詞もイジメとか出てきて破滅的だけど、音楽とユーモアは抜群。千葉出身で、バンプのような良い意味での引き込もり感もあって好きなタイプではある。ROCKIN'ON JAPAN 1月号で語られた「ジミヘンが今生きていたら、ギター振り回してはいないだろ」みたいなところに、ポリシーをうかがわせる。ある意味、プロレス的なエンターテイナーとしての振る舞いを自覚している。この時代に一番おもしろいことをやってやるという気概は、すさまじいものがある。音楽以外でも活躍しそうなので、注目です。

そして次点は以下2作。こちらも非常に良い。
“Them Crooked Vultures” by Them Crooked Vultures
Dave Grohlのドラム復帰のパフォーマンスは素晴らしかったが、トータルで見ると確かに劣ったか。グラミー2011ではBest Hard Rock PerformanceにNew Fangがノミネートされるにとどまった。

“Anomaly” by the HIATUS
細見武士の音楽は変わらず好き。

◆ Book of the year
今年は結構本を読みました。トップは一つに決まらないけど、
ヴィトゲンシュタイン関連本-「論理哲学論考」(野矢茂樹訳、岩波文庫、2003)、「初めての言語ゲーム」(橋爪大三郎、講談社現代新書、2009)の2冊。
初期ヴィトゲンシュタインの到達点は、論理哲学論考における「論じえないことについては、ひとは沈黙しなければならない。」の部分。つまり、論理的に証明できることには限界があり、その限界は(広義の)言語にある(ある言語を使ってその言語の外側を語ることはできない)ということである。それ以上のことを「分からせる」には、例えば小説、音楽・絵画・映画などの芸術を通すなどして、「示される」しかないということ。このようなことが、発展的に展開されたのが、後期ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの業績である。それは、次のようなことである。
「根拠を求める営みには終点がないかのようである。だが、根拠のない前提が終点になるのではない。根拠なき行動様式、それが終点なのだ。」(初めての言語ゲームp.134、全集9:35)
例えば、辞書に載っている2つの似た単語(例:abilityとcapacity)が、互いにその意味の説明にそれらを一部用いているとしよう。普通に考えたら、それじゃあ説明になってないよ、と子供心に辞書に突っ込みたくなったことを思い出すが、言語の本質とはそういうことなのである。最終的には、現実に人々が使っている文脈の総体がその意味するところなのである。それは、「示される」しかないのだ。
また、言語ゲームは単純な言語の文法の他、数学(数の計算のルール)、論理学(人間の思考のルール)、法律(人々の行為のルール)などにも当てはめることができる。そう、あんなに意味不明だった数式記号や、法律の専門用語などもその言語ゲームの中のルールなのだと割り切って考えれば、通常の言語に縛られてもっと概念理解に有効な他の言語ゲームを拒絶しないで済む。

本の次点としては、「アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界」 (中公新書、堂目 卓生、2008)と「官僚制」(マックス・ウェーバー、阿閉・脇訳、恒星社厚生閣、1987)、「日本に『民主主義』を起業する-自伝的シンクタンク論」(鈴木崇弘、第一書林、2007)などを挙げたい。公務員就職を考えて、いろいろ読み漁った1年。しかし、実際に役に立たないことばかり読んでいる気が(笑)。試験対策はこれからギアを上げて頑張る。

以上、Personal XXX of the year 2010でした。
来年は、忙しくなりそうだけど、また良い作品に出会えるといいと思います。
それでは、みなさま良いお年を!