Sunday, January 17, 2010

COP15と日本のマスコミ

今年実質上初のブログです。今卒論を書いている真っ最中ですが、アップしちゃいます。

さて、COP15が終わってからもう一ヶ月以上経ってしまったけど、レポートを2つ書いたものがあるので良かったら読んでみてください。

関連して、昨日、社会学者・宮台真司氏と現外務副大臣・福山哲郎氏の共著「民主主義が一度もなかった国・日本」というのを読んでいて、日本のテレビ・新聞におけるジャーナリズムの衰退(もしくは問題の表面化、宮台氏の言うマスゴミ)というのは問題だなと思って、本の中に出ていた「ビデオ・ジャーナリスト」神保哲生氏の「ビデオニュース・ドットコム」をちょっと覗いてみたら、そのクオリティーの高さに驚いてしまった。おそらく、知らない間に「自由な報道」というものに触れる機会が少なくなっていたかもしれない。

特に、マル激トーク・オン・ディマンド 第455回(2009年12月26日)の中で、神保氏が環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏と、前出の宮台真司氏とともに、COP15の総括として行っている議論は、525円払わないと見られませんが、これだけでもその価値があるというほど濃い内容です。おそらく環境問題と国際政治、国内政治の全てにおいてある程度の基礎知識が必要ですが、この議論はすごいです。

要点としては、1つは今回のCOP15の結果は、内容としてはそれまでの一般的な期待値からすれば低いけれども、その実際に持つ意義というのは画期的だったのだということだ。
今回の結果は今の国連の枠組みでグローバルイシューの合意形成することの限界を浮き彫りにし、その次の国際合意形成は、リーダーの個人的信頼関係(国内での取り組みなど細かい積み重ねによって、それは強化される)によって決定されるのだということ。
そして、2つ目はこれから日本が25%を宣言しただけでなく、それを着実に政策を動員して実績を作っていかないとその目標は全く国際交渉で意味を持たなくなるという厳しい現実。
私個人としてできることは、まだ多くないけれども、すごくモチベーションがあがりました。
やはり、あのCOP15という歴史的な場をこの自分の目で見たということは、長い目でみるとものすごい大きな価値を持つような気がします。

以上、一発目の投稿でした。

Thursday, December 31, 2009

2010年明けましておめでとうございます

2010年、明けましておめでとうございます!
昨年お世話になった方、どうもありがとうございました。今年もよろしくお願い致します。

今年は初日の出を見られたので、1年良いことがありそうです。
昨年で2000年代が終わりあらたな10年が始まりました。
この10年はどうなるのでしょうか。10年後は自分もう30代ですね。それまでには立派な大人になっていたいですね。

ちなみに昨年は、研究室所属をし、環境NGOと環境コンサルでのバイトなど毎度のことですが色んな経験をしました。12月にはCOP15に乗り込み、一つ区切りがついたように思います。この詳細はあとでアップします。
今年は、卒論と大学院の受験など、腰を据えて研究やら勉強やら何やら打ち込む年になるのかなと思います。卒論が終わったら、ひとまず学部を卒業なのでいろんな人と久しぶりに会いたいですね。


さて、個人的に恒例としているPersonal XXX of the yearの2009ができていなかったので遅ればせながら、書いておきます。(いつものことですが、私が2009年に触れた作品が対象です)

◆ Film of the year
2009年は約30本の映画を観ました。2008年より数としては少ないですが、今年も多くの良い映画を観られたと思います。早速、挙げてみましょう。

「アイデン&ティティ」(2003)
みうらじゅん原作、田口トモロヲ監督の初作品ですが、今年一番泣いた作品です。2009年の自分とも重なる部分が強くて、Filom of the Yearに挙げました。

次点としては、「闇の子供達」(2008)、「スワロウテイル」(1996)、「トウキョウソナタ」(2008)、「ゆれる」(2006)、「Lust, Caution」(2007)、「うなぎ」(1994)、「グラントリノ」(2009)、「Avatar」(2009)なども劣らず良作でした。

◆ Album of the year
悩みますが、一番はこれ。
“Whatever People Say I Am, That's What I'm Not” by Arctic Monkeys
このオリジナリティーには頭が下がります。この次の2作も毎回違うテーマで曲を作っていて飽きないですね。数十年以上活躍するバンドでしょう。このアルバム最後の “A Certain Romance”が好きです。ちょっとその歌詞を以下に紹介するけど、これがArctic Monkeysを端的に表している!

There's only music, so that there's new ringtones
着メロになるような(商業的な)音楽しかちまたにはないのさ


そして次点は以下2作。こちらも非常に良い。
“21st Century Breakdown” by Green Day
“Trash We’d Love” by the HIATUS


◆ Book of the year
2009年はそんなにたくさんの本を読んだ気はしないけれど、村上春樹にハマりましたね。その意味で、Book of the yearは、
「ノルウェイの森」/村上春樹
です。1Q84も良くて、4月に続編が出るみたいですが、絶対読みますね。

次点は夏のもやもやしてた時期に読んだ「善の研究」/西田幾多郎です。初の本格的な現代日本語の哲学書として読み継がれてきているだけのことはあるなと思いました。


以上、Personal XXX of the yearの2009でした。
今年もたくさん良い作品に出会えるといいと思います。

Sunday, October 11, 2009

近況

先週、久し振りにバスケットボールをやったら、フルコートで予想外に40分間ぶっ通しでゲームを続けるから終盤にふくらはぎが攣りまくった。それでも無理してちょっとやってたら肉離れ状態に。

感覚的な肉離れのしくみの解説

筋肉が過度に疲労する
↓
筋断裂を防ぐために筋肉が自ら収縮する(痙攣)
↓
それでも無理してプレーを続けると、当然痙攣したままの
状態なので、足首を固定したまま走ることになる
この状態だと当然動きは遅い
↓
運動中はアドレナリンとか興奮するホルモンが出ていて
痛みはあまりでないが、運動終了後、徐々に違和感が
増してくる
↓
本来の歩いたり、走ったりするときに滑らかに連動して機能していたふくらはぎの筋肉が
ずっと痙攣に近い状態で、筋肉が骨などから離れた感覚になる

人から言われて思ったが、この筋肉が離れる感覚の状態を「肉離れ」と呼ぶのではないか。

今回の私の場合は、肉離れと同時になぜか足の親指がうっ血状態で、爪の下が真っ青に腫れている。5日くらいたって、肉離れは治ってきたが、足の親指は治る気配がない。最終的に、ぽろっと爪がはがれるのではないかという懸念さえある。これは医者に行った方がいいかもしれない。しかし、これは何科に行けばいいのでろう。


それから話は変わり、昨日、「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」を公開初日に観て来た。
非常に見応えのある作品だった。
男女の感情の妙が見事に映し出されていたと思う。
浅野忠信、松たか子も存分に味を出したいい仕事をしていたが、広末涼子が特に素晴らしかった。「おくりびと」よりも存在感がずいぶんと増したようだ。あんな役もできるんだね。


さて、最後に先日終戦を迎えた今シーズンのタイガースの総括。
真弓監督が就任して、新生タイガースとして向かえた今年。
去年の岡田で、逆転で優勝を逃した悔しさがどこか、いい形に働いてくれたら良かったが、戦力はもちろん、モチベーションも明らかにダウンしていたように思う。
やはり、コーチなどの経験が一度もない人物が監督をやると、難しいところがあるね。
ブラゼルが途中加入して獅子奮迅の活躍での盛り返しがなければ、CS出場争いすらできなかったろう。エースの安藤が終盤勝てずに、最後にCSをぎりぎりで逃すところも今年の阪神を逆に象徴していたような気がする。
シーズンを通して、マスクをかぶり大きな成長を見せた狩野と、なかなか勝てなかった能見シーズン後半に一皮むけたのは今年の数少ない収穫だが、このままでは長期の低迷は避けれないのでないか。
成績に陰りの見える金本、新井にはそう長い間主軸を任せられないだろうね。
松井秀喜とかこねーかなぁ。巨人を再生させた小笠原みたいになってくれないかな。
あとは、藤川はメジャーにもう行った方がいいのではないか。明らかに、今シーズンモチベーションが維持できていなかったように思う。阪神ファンとしては寂しいけど、藤川は一回メジャーでやってほしいわ。

Saturday, October 3, 2009

信条倫理と責任倫理

2016年のオリンピックはリオになったようですね。南米初のオリンピックで、よかったのではないかと思います。東京が落ちたのは予想通りでした。2012年のロンドンで環境重視の話はもう実現されるわけで、続けて環境重視と言ったところであまり魅力的には写らなかったのでしょう。しかし、最初に落ちなかったのは、鳩山首相のインパクトが今国際的にそれなりにあることも影響したのでしょう。

さて、最近、進路のことを具体的によく考えるのですが、職業の選択肢として大きく分けて民間と公務員とがあると思います。フリーのジャーナリストや、研究職などはまた別ですが。

マックス・ウェーバーは講演「職業としての政治」の中で、すべての倫理的な行動は「信条倫理」と「責任倫理」の互いに両立できない2つの原則にもとづくと述べています。
信条倫理的とは自らの信条的な原則・忠実さを優先し、結果に責任は必ずしも負わない姿勢であり、責任倫理とは、良き目的を達成するためには悪しき手段もいとわずに、自分の行動に予測される結果に責任を負う姿勢のことを指します。
例えば、全ての戦闘を終わらせるための最後の戦闘は許されるのかといった問題です。こういうことが繰り返し語られることで、戦争は長引いたりします。
または政治家が目的を達成するために、いろいろと策略を企てることです。

良き目的を達成するためにどれだけの悪しき手段が許容されるのかに一般的な答えはないでしょう。
しかし、ウェーバーによると、信条倫理(良き目的)と責任倫理(手段をいとわず予測される結果に責任を負うこと)は相互補完的なのだそうです。とりあえず両方の原則で一度考えてみることは、誠実な姿勢なのであり、何も考えずにどちらかだけで判断するよりもずっとましなのではないかと思います。おそらく実際の判断は、その人の性格や信条などのバックグラウンドに応じて、うまくバランスをとることになるのでしょうが。

私の個人的な話でいえば、自分の大きな目的を達成するためには、まず社会にひとまず出て社会的な経験を積み、自分の実務的な能力を高める必要があると思っています。しかし、最初にどこに就職するのがベストなのかというのは難しい問題です。
民間企業で企業の利益追求のために厳しくやっているところにいくのが、個人としての能力は高まるのかもしれないけれど、あまりにも自分のやりたいこととかけ離れたことになると、どこまでその仕事に没頭し、そのモチベーションを維持できるか疑問で、結局駄目になるのではという気もします。
しかし、公務員は公務員で、一端就職してしまえば、一般的には民間のようにはお尻に火がついた状態でいくということはそれほどなく、馴れ合いが多いかもしれない組織の中で、公共のために尽くすという高邁な精神を維持し、自分で自分を磨いていかなければなりません。

いろんな人のいろんな話を聞きますが、どちらがいいのか判断がつかないですね。
今はちょっと公務員側に傾いていますが、ずっと迷っててもしょうがないのでとりあえず大学院の行き先を早く決めて、卒論をやっていくなかで考えていくしかないですね。
ああもっといろんな人の話を聞くべきかなと思います。

Thursday, September 24, 2009

Hello & Goodbye

Today, my friend in lab left to London for her master's degree.
She is so cheerful that many people like to hang around with her. I have respect for her because she have never forgot to smile even in the toughest time for the preparation of the dissertation. I miss her a lot. However, as I aim for going to UK university for my master course, I hope to see her again in Britain next year.

On the other hand, two newcomers showed up to my lab. One is from Malaysia and I am taking care of him as a tutor mainly for language problem. Today, we had dinner together and had a lot of conversations.I got really good chance to brush up my English before I take GRE or TOEFL next time. Hope that he will spend great time in Japan.

Monday, September 21, 2009

「善の研究」を読む

みなさま、シルバーウィークいかがすごしでしょうか。
私は引きこもって本を読んでます。
わざわざ混む時期にどこか行こうと言う気にならないよね。学生のうちは。

まとまった時間があるときにはまとまった時間がないと読めない本を読みたくなるわね。
2年くらい前に買って放置してあった西田幾多郎の「善の研究」をついに読みました。

昔は哲学なんぞ何の役に立つのかと思っていました。学部で橋爪大三郎先生の宗教社会学にはまり思想一般にも興味が沸いたのですが、最近は学部の卒業を控えて自分の進路を現実に考えることが多くなり、自分は人生で何をなすべきなのかということをよく考えています。
もともとが哲学なんぞに興味がなかったものですから、哲学書を読むにしても私の興味のあるのは一般的なことではなくて、いわゆる「実存主義的」な(自分はどのように生きていけばよいのかを考える)問題が中心です。

これまでニーチェなどは少し読みましたが、今回読んだ西田の本などは、数少ない日本人が書いた哲学書なので、世界史・西洋哲学の背景知識などがあまりなくても、そして翻訳を経ていないと言う意味でも、言葉が理解しやすかった思います。抽象的な概念の翻訳ほど難しいことはないでしょうからね。(詩や小説の韻などもそうですけど)
また、講義の資料を想定して書かれているのか系統立てて順序よく説明されているので分かりやすかったですね。もちろん実在なんかのところは一般論を緻密に書いているので難しいですが。


さて内容について少し書いておきます。
この本のメインは(そして私の興味があったのも)

何が人間の真に善なる行為なのか?

を考察することである。
西田は、人間の意志などについての詳細な分析を体系的に述べたあとに、善悪の基準として主に2つのものを挙げる。

一つは、「他律的倫理学説」であり、これは君主や神などの権威に従うことが善であるとするものであり、この説では何が善かの説明ができないのが本質であるいう。例えば、神は全知全能なので、我々が勝手に何が善だとかいうことは判断できないという具合である。西田はこれを受動的であって、なぜその善に従わねばならないのか納得ができないとしている。

もう一つは「自律的倫理学説」であり、これは道徳の根拠を人性(人間の性質?)に求めるものである。これには次の三つがある。

①合理説(主知説)
②快楽説
③活動説

合理説は、理性(真理)に根拠を起き、情欲快楽に克って精神の自由を保つことが理想とする。しかし、我々は理性的動物なるが故に理に従わねばならぬという説明に対して、西田はこういった論理的判断と意思の選択とは別物であり、理が必ずしも意思の原因とならないとしている。

快楽説は苦楽の感情を基準として善を定めるもので、最終的には全て自らの快楽を最大とすることを善とする「利己的快楽説」と、功利主義のベンサムの唱えたような「最大多数の最大幸福」が最上の善とする「公衆的快楽説」がある。西田は、快楽が唯一の人性の目的だと仮定するこれらの説に疑問を呈している。

3つ目の活動説(energetism)は、その根拠を意思の活動に起き、理想(我々の内面的要求)の実現・意思の発展完成をもって真の幸福・満足を追求していくことが善だとする説である。
西田はこれを推して、その理想を「自己の発展完成」=我々の精神が種々の能力を発展し、円満なる発達を遂げ、各自その天賦を充分に発揮することとしている。

西田は、さらにこの活動説に基づいて、自身の完全なる善行について持論を展開する。
まず、善行為の動機(善の形式)については、「至誠」(自己の知を尽くし、情を尽くすこと)が不可欠とし、「主客相没」(自己の全力を尽くしきり、殆ど自己の意識がなくなり、自己が自己を意識せざるところ)に真の善行を見るとしている。

次に、善行為の目的(善の内容)については、個人性の実現を挙げ、それには強盛なる意思が必要と述べている。また、この個人主義は利己主義と異なり、社会と衝突しないという。なぜなら、人間の個人意識の中には社会的意識が大部分を占めており、自分の人格が偉大になる従って自己の要求が社会的となるからとしている。そして、この社会的善として、家族、国家、世界(人類的社会)の3つの階級を挙げている。個人的には、家族と世界についての記述がおもしろかったので書いておく。家族のレベルでは、男女の両性が相補って完全なる人格の発展ができるということ言っています。男が女に惹かれるのはそういうこともあるんですね。個人的に、女性でも特に自分にないものを持っている人に惹かれるのも分かる気がします。
また、世界については「真生の世界主義というは各国家がなくなるという意味ではない。各国家が益々強固となって各自特徴を発揮し、世界の歴史に貢献するの意味である。」と延べ、今日においては、暗に均質なグローバル化は世界の理想像ではないという風に受け取れるので興味深い。

そして結論として「完全なる善行」を次のように述べている。
「我々が内に自己を鍛錬して自己の真体に達すると共に、外自ら人類一味の愛を生じて最上の善目的に合うようになる。これを完全なる善行為というのである。」
また、その具体的内容については、以下のように書いている。
「事業の種類はその人の能力と境遇とによって定まるもので、誰にも同一の事業はできない。しかし我々はいかに事業が異なっていても、同一の精神を以て働くことは出来る。」


全体の感想としては、まず言語が思考を作るということは強く感じました。もちろん思想には実体験(感覚)が重要な役割を持つのはいうまでもありませんが、言葉にして書かれて始めて人間の内面についてのあれほど緻密な考察ができるだと思います。最近、書くというアウトプットが不足気味だったのでそれを思い出すいい機会だったかもしれません。
次に内容としては、ニーチェのツァラトゥストラに似ている部分があると思いました。(文中にニーチェは一度も出てきませんでしたが)。
ニーチェは既成の道徳などは捨てて、自らの道徳は自らで繰り返し設定し、「孤独の高み」を目指すべきだとしている。
「恒常不変の善と悪、そんなものは存在しない!
善と悪は自分自身で自分自身を繰り返し超克しなければならない。」
ツァラトゥストラ第二部「自己超克」

これは西田の述べるところの、善行為の目的、自己の発展完成(個人性の実現)と実態としてはほとんど同じだと思いますね。

西田の導き出した結論については、非常に自分のこれまで持ってきた感覚と似たものを感じました。
基本的には、人はそれぞれの能力と境遇に応じてベストを尽くすことが、個人にとっても社会にとっても理想だろうと思っていましたし、それにはその仕事なりなんなりに没頭できるほど、自分の中の迷い・疑念などをなくしていかなけらばならないということもそうです。
(善行為の目的としての個人性の実現などは、論理的な観点から言えば、例えばペドフィリアなど異常愛好者などは、個人主義で行くとは社会衝突は避けられないし、また極貧層などはベストを尽くそうにも尽くせないなど、やや不完全な気もしますが、現実的な感覚からすると非常にしっくり来ますよね。)
しかし、自分に照らしてそれを考えてみると、それには自分はその道でやっていくんだという強い意志を持ち、毎日のゆるぎない努力を継続することが必要であり、これこそが今の自分にとっての必要な部分なのだと思います。毎日ベストを尽くしている自信があるなら迷いは生まれないはずなのだから。

さて、みなさんは善とは何だと思いますか?

Friday, September 18, 2009

久し振りの更新

ブログの更新がとどこおっていました。
この2ヶ月ほどはいろいろなことがありました。

研究室のゼミ旅行、環境コンサルでのアルバイトを始めたことなどとても書ききれないですが。

最近の私は、卒論のテーマがほぼ決まり、それへの着手と
そしてイギリスの大学院の出願準備中です。(アメリカも少し考えているがGREを今から準備するのは結構キツイので難しいのではあるが)

イギリスのMaster's Courseは1年しかないので、その先の見通しを出願する前から立てておかなければならない。就職するのか、博士に行くのか。
就職するなら、どこにするのか。
いろんな業界を考えるもどこも一長一短ある。
博士に行くにしても、覚悟がいるし。
様々な考えが堂々巡りして全然前に進めている感じがしない。
進路や授業の成績などに関しての「抜け目のなさ」のなさは自他ともに認めるところですが、いざ海外の大学院に出願となると、もうちょっと抜け目なくやっておいてもよかったんじゃないかと思うしだい。まあそのへんは他でカバーするっきゃないか。

早く出願だけしてしまって、Conditional Offerがくれば足りない語学でも何でも必死でやったらいんだよ。どうにも早く近頃自分を支配している無気力感を打破しなければならない。


Life is sad
Life is a bust
All ya can do is do what you must
You do what you must do and ya do it well
-Bob Dylan "bucket of rain"

毎日コツコツと努力していくしかないのさ。