怪我をした日は、3月にしてはかなり吹雪いていて視界が悪い状況でした。それに加え、初心者で久しぶりのスキーなのに勢いで山頂の方まで登っていってしまいました。それで、スピードが出すぎて前に倒れ込みながら左腕をストックと一緒に巻き込んで、やってしまいました。今まで骨を折ったことはなかったのですが、手は動いても肩から下が垂れ下がった感じで動かせず痛みもあり、すぐに折れたのがわかりました。何年か前の田中達也の骨折のシーンを思い出しました。それから、レスキュー車に乗って医務室で応急処置をしてその日のうちに群馬の実家に戻り、翌朝地元の病院へ。9日から入院し、10日にボルトで骨を固定する手術をしました。
翌日の11日午後に、例の地震があり病院でも震度6弱の揺れでした。私のいた整形外科の病棟は、一番新しく、物も紙一重で落ちない程度で済みました。しかし、手術室ではいくつか天井のパネルが落ちたという話も聞き、前日の同時刻に手術をうけていた私は、一日ずれていたらと思うと少しぞっとしました。
術後の経過は良好で、リハビリは数ヶ月かかるものの、昨日無事退院することができ今実家に戻ってこのブログを書いています。怪我をしてから思い出したのですが、今年は厄年で、ちゃんと厄除けまでしたのに不幸が振りかかるところは厄年なる所以でしょう。おそらく、厄除けしたところでそれに安心してしまって、結局人生における厄年の持つ運命は変えられないなのかなあと思います。怪我をしたこと自体は不運で、いろいろ他人に面倒見てもらわないといけなくなり、生産性もガタ落ちなのはまあそうです。ですが、作今のニュージーランドや日本の地震で、命を落としたり、命は助かっても足を切断しなければならなかった方の記事を読んだり、また怪我する前日にDAYS JAPANのイベントで地雷で手足をふっとばされた方の写真を見たりして、五体満足でいられることの意味が今までと比べられないほど違って感じるようになりました。また、同じ病室の他の方は3方とも脚で、一月を超える治療とリハビリに苦労されているもいました。折ったのが足でなく、しかも利き腕でなかったのは不幸中の幸いでした。
さて、ここからは入院生活の日々に感じたことを書いてみます。
・時間を埋める毎日
平時では時間をどうやりくりするかに苦労するが、入院中は時間をどう埋めるかが重要な課題となる。日中は、長いといいつつも同室の患者さんと話をしたり、三度の食事をしたりするうちに何だかんだ時間は過ぎていく。しかし、夜は勝手が違う。
まず携帯電話をいじくってみる(整形外科なので使用はほとんど黙認されている)が、自分が活動休止中なので特段動きはなくすぐに飽きる。次は、テレビをつけてみる。どれも地震ばっかりで気が滅入るので長く見る気にならない。今度は音楽を聞いてみる。普段聞いているロックは、気分をハイにするので病院で聞くには向いていない。ジャズなども最初は効果的だが、やがて飽きてくる。それならばと本を読もうとするが、いろいろ体勢を変えてみてもどれも腕を使うのでなかなか集中できない。最後はあきらめて、眼を閉じて寝ようとするが体も頭も疲れてないのでなかなか寝付けない。寝られたとしても、術後数日は痛みがあって眠りが非常に浅くなる。
こんなことを繰り返して、なんとか時間をやり過ごした。
・三者三様の同室の患者さん
病室はたいがい4名がカーテンで仕切られて一緒に滞在している。私がいたのは入って左手前の角で、私の正面には同じくらいの年代のAさんがいた。Aさんは、フォークリフトで脚をはさみ、入院一月ほどで、膝・足首の曲げ伸ばしのリハビリに移行いていた。どちらかというと自分は寡黙な方だが、誰か一人周りに人当たりがよく聞き上手な人がいてくれれば、会話をはずませることに貢献できないわけではないと思っている。Aさんは、まさにそのような人で、入院中に想定していた決まりの悪さに辟易することは最後までなかった。
私の、対角の窓際にいたのは60歳くらいだがやんちゃで若々しいBさんだった。彼は、スキーで膝が反対に曲げられることによる陥没骨折で私より2週間程度早く入院していた。Bさんは、普段は設計事務所経営の建築家でその豊富な経験からいくつもの面白い話を聞かせてくれた。
一番面白かったのは、オープンキッチンについての話である。近年、キッチンとダイニングルームの間の壁をとりはらったオープンキッチンが新築では主流になっている。しかし、こうなったのは長い目で見るとごく最近のことなのだそうだ。Bさんによれば理由は2つある。1つは、戦後の多摩ニュータウンに象徴されるように、階ごとの面積の小さい家屋が増えたことにより、キッチンとダイニングルームの間の壁をとりはらうことで視界をひらき、圧迫感を和らげる需要があった。2つ目は、核家族化により、時間と経験で余裕のあるじいちゃんばあちゃんが子供の世話することがなくなり、母が料理中も子供の面倒を見る必要が出た。そこで子供に目を配れるオープンキッチンの出番となったらしい。しかし、Bさんによればオープンキッチンには2つデメリットがあるそうだ。まず第一に、母親が常時子供に目を届かせることが習慣化し、思春期の反抗的な子どもは過剰な親の監視や干渉を感じることがあるそうだ。あるいは、母親が神経質になっていわゆるモンスターペアレント化の一因になることも考えられる。第二に、お父さん方にとってより重要な問題だが、料理の過程を人にみられることによって途中のみてくれを気にするようになり、最終的な料理の味がまずくなりうるということだ。もちろん、共働きの増加で料理の過程も家族の団欒の一部とする新しいスタイルに合うなどポジティブな面もあり、一概に悪いとはいえないだろう。しかし、家の空間においても現代の過程の諸問題が映しだされていることの一例を教えてもらい、設計の奥の深さに気づいたのであった。
さて、話がそれたが、3人目のCさんは、ちょっととっつきにくい肉体労働系の中年の方であった。「なっから」「うんとこさあと」「よいじゃあねえ」「けえる」などの純群馬弁がよどみなく出てくるのは聞いていて何だか落ち着いた。Cさんいわく、太田市のあたりが日本で一番けんかっぽいしゃべり方らしい。
・入院の影響
酒とたばこが(少なくとも現段階で)ほしくなくなった。規則正しくなった。きっちり8時、12時、18時に三度の飯がほしくなった。夜10時でも寝られるようになった。昔からやや頑張りすぎる傾向があるが、無理をしなくなった。治療は焦らないことが大事。急がば回れ。ゆっくり急げ。整形外科ではちゃんと食べられる割に動けないので、筋肉がそのまま肉になった(笑)。こんなところ。
・中学の同級生と再会
入院して2日目の手術当日の担当になった看護師さんがなんと中学の同級生のS君で、そんなに当時仲良くしてたわけではないけど向こうは覚えてくれていて、不安が少し和らいだとさ。
来週から段階的に研究と就活などを再開させますが、生活の便を考えてしばらくは実家からの通勤となりそう。よく考えてみると、こんなに長く実家にとどまるのも大学に入ってから初めてのことです。しばし、家族との時間を楽しもうと思います。あ、もし私に会う機会がある人がもしいれば、小魚を与えみてください。良質のカルシウムは、非常に喜ばれるでしょう(笑)
<蛇足>怪我してから鑑賞した作品のレビュー
・映画
「川の底からこんにちは」、今井裕也監督、2010、★★★★★、今井監督のユーモアセンスと満島ひかりの魂の演技に感動。
「悪人」、李相日監督、2010、★★★★☆、「殺したやつだけが悪人なのか?」を描き出す素晴らしいプロットだった。
「Love Actually」、Richard Curtis、2003、★★★☆☆、妹が借りてきたやつ。思ったよりは楽しめた。
「P.S. I Love You」、 ★★★★☆、妹が借りてきたやつ2。Gerald Butlerの恋愛ものは連続して予想外によかった。納得のラスト。
・小説
「グレート・ギャツビー」、スコット・フィッツジェラルド、1921(村上春樹訳、中央公論新社)、★★★★★、村上春樹の訳書は初めて。読み進めるうちに、描写の繊細さに吸い込まれた。村上春樹特有の比喩につながる表現も見受けられた。好きな部分。
「判断を留保することは、無限に引き延ばされた希望を抱くことにほかならない。」p.10
「病んだものと健康なものとのあいだの相違に比べれば、人間一人ひとりの知性や人種の違いなんてそれほどたいしたものではない」p.225
「『僕は三十歳になった』と僕は言った。『自分に嘘をついてそれを名誉と考えるには、五歳ばかり年を取りすぎている。』」p.320